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僕が尊敬する友人の言葉に「抽象化スキルは、経験の再利用性を高める」というものがあります。
この言葉だけで、この厳しい時代を生き残るのに必要なことの(ほとんど)全てが語れているのですが、以下、自分のために、この言葉が語られる背景をエントリにしてみます。長文です。 ●これからの時代 ネット社会は「誰がどこに住んでいるか」ということを不問とします。どこに住んでいようとも、世界中の人々とコンタクトができるようになるからです。これは、様々な分野において、距離の意味が薄れるということを意味しています。 そうした中、特にサービス産業においては「特定の職務経験を持った人材がどこに住んでいるか」によって仕事のマッチングが行われた時代は終わろうとしています。 ネット社会において問われるのは「特定の職務経験」があるかないかだけです。その人がどこに住んでいるかに関係なく、どこからでも仕事の依頼をすることができるようになります(注1)。 結果として「どこに住んでいるか」ということで、これまで、なんとか仕事を得ることができていた人たちが「特定の職務経験」のレベルをグローバルに比較されるようになります。 そうなれば、ワールド・クラスの人のところに仕事が集中し、多くの人が今の職を失うことになるでしょう。僕たちは、社会の変化に合わせて新たに生まれる仕事に合わせ、積極的に新しい職務経験を積んでいかなければなりません。 ●やったことのない仕事の職務経験が求められる 次々とイノベーションが起こり、競争が激化する社会においては、特定の仕事における職務経験の価値は、時間とともにどんどん減っていきます。 今は安泰に思える仕事であっても、それは突然、地球の裏側にいる人によって奪われたりするわけです。そうした社会では、誰もが、次々と新しい仕事にチャレンジしていかなければならないでしょう。 でも、仕事を得るために求められるのは、いつだって、その仕事において何らかの業績を残してきたという職務経験です。ネット社会では「やったことのない仕事の職務経験」が求められてしまうとするなら・・・。 これが、これからの失業問題の解決を難しくし、失業期間を長期化させる根本的な原因となるでしょう。 ●座学では(おそらく)この問題を解決できない この失業問題への対策として、各国政府(特に、新興国に仕事を奪われる先進国)は、職業訓練のプログラムを充実させていくと思われます。 ただ、政府としても、多くの失業者を少ない予算でトレーニングすることになるので、コスト面の理由から、プログラムはどうしても座学が中心となると予想されます。 ところが、大人の学習はその70%が職務経験から、20%が他者の観察やアドバイスから、そして最後の10%が研修や読書といった座学から得られているという研究者たちの報告があります(注2)。 座学ではなくて、インターンに近い形の「職務経験」が得られる職業訓練プログラムでないと、効果が出ない可能性があるのです。もちろん、座学「も」重要ですが、それは直接には、これからの時代の失業問題を解決しないと考えるべきでしょう。 ●生死を分けるスキルとしての抽象化 そんな時代でも「やったことのない仕事の職務経験」が求められるような、一見矛盾した状況に適応する人材が出てくると思います。僕は、そうした人材に共通しているのは、抽象化スキルだと考えています。 抽象化スキルとは、その対象となることがらより、特に注目すべき要素を抜き出しつつ、他は無視するというスキルです。これによって、物事の本質に迫ることができます。 例えば、「マクドナルドでのアルバイト経験」ということを抽象化してみます。 マクドナルドを構成する要素は「店舗において、顧客と直接対面しながら、ハンバーガーとドリンクを中心とした商材を売る外食ビジネス」であるとします。これを極端に抽象化すれば「外食ビジネス」になるでしょう。 また、アルバイトを構成する要素は「会社都合でシフト管理されながら、与えられた仕事を遂行する存在」であるとします。これも極端に抽象化すれば「仕事」になります。 「マクドナルドでのアルバイト経験」を「外食ビジネスでの仕事経験」だと考え、外食ビジネスのあるべき姿を理解しようと、書籍やネットで外食ビジネスについて座学をこなしながら日々を過ごせるかどうか。 自分がマクドナルドではないレストランで食事をするときは、マクドナルドとの違いを意識しながら、なにか学べるところはないかと考えるクセがついているかどうか。 このように、マクドナルドでのアルバイト経験から、外食ビジネスについての理解を深められる人材は、マクドナルド以外の外食において、アルバイトではない職を得られる可能性が高いでしょう。 しかしそれを「マックでバイトしているだけ」と考える人材は、その枠から飛び出ることはできません。もっとミクロな視点でも、日々特定の問題を処理しながらも、問題解決方法を抽象化して考えられないと、似たような失敗を繰り返すことになってしまいます。 「抽象化スキルは、経験の再利用性を高める」というわけです。経験の素因数分解をして、一見異なる多くの仕事のなかに、最大公約数を見つけていくという態度こそ、生死を分ける重要なものになるはずです。 ●抽象化スキルの鍛え方 まず「自らの経験を文章として整える」ことが、そもそも抽象化です。たとえば日記(日報)は、その日起こったことの中で、特に重要だったことを要素として抜き出したものです。これ自体が抽象化のよいトレーニングであることは明らかでしょう。 次に「なかまはずれを探す」という方法もよいでしょう。複数の事柄の中から、1つだけ他とは異なる事柄を探すということは、その1つ以外の他の事柄の中に「共通点」を見つけるという作業です。この「共通点」こそが、抽象化の結果として得られるものです。 そして最も高度な抽象化のトレーニングは「比喩を生み出す」ということだと考えています。普段から周囲のものごとをたとえて話すクセをつけたり、読書をしながら優れた比喩に触れることが抽象化スキルを鍛えると思います。 頻繁に発着する電車に、乗客が次々と吸い込まれていく状況をみて「駅」を「イモムシのレストラン」とたとえるとき、そこには、直感を伴った高度な抽象化スキルが働いています。 こうした比喩(たとえ)というのは、ある事柄Aの中に含まれる本質的な要素が、高度に抽象化され、思いもよらなかった全く別のなにかBの中にも含まれていることに気づかされるからこそ面白いのです。 最後にもう一歩だけ、この比喩の話を進めてみます。 そもそも何故、僕たち人間は優れた比喩を「面白い」と感じるのでしょう。個人的には、僕たちの脳が、物事を抽象化して考えることを奨励しているからだと信じています。 特定の環境に過剰に適応している者は、ちょっとした環境変化によって滅んでしまうという現象は、生物の世界において頻繁に観察されています。そして僕たち人間は、環境への過剰適応を避けてきたからこそ、進化を生き残っていることを忘れるべきではありません。 抽象化とは、言ってみれば、特定の経験への過剰適応を避けるためにこそ必要となるスキルであり、それは本来、僕たち人間には「大切なスキル」として埋め込まれているはずなのです。 ●まとめ これからの時代、僕たちには「やったことのない仕事の職務経験」が求められるようになるでしょう。これは、普通に考えると無理なことのように思われます。 しかし、僕たちが普段の仕事から得ている経験は、全く別の仕事にも再利用できる可能性があるのです。これを実現するために必要となるのは、抽象化のスキルです。 抽象化スキルを鍛える方法としては(1)自らの経験を文章として整える(2)なかまはずれを探す(3)比喩を生み出す、という3つがあると考えています。 そしておそらく、生物としての強さを決定づける「変化への適応力」とは、人間の場合、この抽象化スキルにほかならないのだと信じています。 (おしまい) (注1)書籍であれば、例えば『ワーク・シフト』を参照ください。また、過去には同じテーマで『この変化は、優しくない。』というエントリを書いています。よろしければ、そちらも参照ください。 (注2)「70:20:10の法則」とも言います。書籍であれば、例えば『「経験学習」入門』を参照ください。また、過去にはこの書籍の書評『経験から学ぶ力を、高めたい。』を書いています。よろしければ、そちらも参照ください。 夏休みの記憶 ![]() ●無料メルマガ『人材育成を考える』もよろしくお願いします。 ●twitterもやってます:http://twitter.com/joesakai #
by ned-wlt
| 2012-09-17 18:08
| 時事評論のまね
他者の、なんらかの判断を見聞きしたとき、それに対して「意味がわからない、バカじゃないの」と感じることは、誰にでもあると思います。ただ、これは結構危険なことだと思ったので(自戒を込めて)エントリにしておきます。
●その判断をした他人は、本当にバカなのだろうか? まず、そもそも「意味がわからない」という自分は、その判断に関わる分野について十分な知識と経験をもっているのでしょうか。仮にそうだとして、その特定の判断に必要な情報が何であるかを知っていて、それを理解しているでしょうか。 人間は、自分の専門分野を超えた世界については、まず、正しい判断をすることができないものです。少しでも合理的な判断をするためにできることは、その分野の専門家の意見を集めることぐらいでしょう。 他者の判断に「意味がわからない」と感じるとき、僕たちはまず、自分とその他者を比較して、その判断がなされた分野に対して、どちらのほうが土地勘を持っているかということを検討すべきだと思います。 ●他者のほうが土地勘を持っているとき この場合は「意味がわからない」のは自分のせいである可能性が高いです。そもそもこの世は、わからないことだらけです。だからこそ面白いのだと思いますが、それを「バカじゃないの」と切り捨てたら、もったいないと思います。 今の自分には理解できないことに出会ったとき、その背景になっている理屈を「知りたい」と思う気持ちは、人の学習にとって大切なモチベーションです。この認識がないままに、他者をバカにするような態度ばかりを鍛えてしまえば、学習にとって大切なドライバーを失ってしまうでしょう。 ●自分のほうが土地勘を持っているとき こちらの場合は、他者が、自分が持っている知識と経験を持っていない可能性も高いです。ただし、ここには大きな落とし穴があります。もう一つの可能性として、そうした他者が、容易には入手できない「貴重な情報」を持っていることを疑う必要があります。 たとえば自分が漁師だとして、自分がよく知っている海で、明らかに素人に見える人が、釣りをしていたとします。その人が釣り糸を垂れるあたりは、ほとんど魚がいない場所だとしたら、どう思うでしょうか。 「バカだな、あんなところに魚なんていないのに」と思ってしまえば、そこで終了です。でも実は、その素人に見えた人は、数年に一度の限られた日にだけ、その場所に集まる魚類の研究をしている生物学者だったとしたら? ●言いたいこと 他者の判断に「意味がわからない、バカじゃないの」といった感情を抱いたときこそ、学習のチャンスです。自分がそうした他者と全く同じ立場にあれば、同じ判断をしたかもしれないという前提に立つことこそ、謙虚さの定義だと思います。 その上で「その判断を合理的なものにできる情報」を、自分が知らないだけかもしれないという「不安」を持つべきでしょう。その「不安」を心のどこかにしまっておくからこそ、僕たちは、自分とは関係のない分野についても「知りたい」という欲求を持てるのだと思います。 みんな、そんなにバカじゃないです。今を生きている人は、37億年とも言われる生命の歴史を勝ち抜いてきた命なのです。自分には理解できない、他者の判断の背景には、知恵の鉱脈がある(かもしれない)ということを意識する必要があります。 ここまで書いてみて気が付いたのですが、これ、要するにソクラテスのいう「無知の知」ってやつですね。この世界で起こることを「意味がわからない」と切り捨てることなく、「自分は知らない」という態度を貫きたいものです。 (今週末も大忙しです!) この夏の思い出 ![]() ●無料メルマガ『人材育成を考える』もよろしくお願いします。 ●twitterもやってます:http://twitter.com/joesakai #
by ned-wlt
| 2012-09-01 11:35
| 時事評論のまね
キャリアを考えるのは、とても難しいです。だから誰もがキャリアに迷います。迷わずに自分のキャリアを突き進んでいるように見える人であっても、過去に迷った結果として「そうある自分」を決めているだけの話です。
僕の知る限り、成果を出す人というのは「キャリアに迷う時間」と「仕事をする時間」の切り分けができています。なぜなら、迷いながら仕事をしたって、成果なんか出ないからです。 最悪なのは、迷いながら集中力を欠いた仕事をして、それでは成果が出ないから、さらに迷いを深めていくという負のスパイラルにあることです。 成果が出ない仕事は、誰にとってもつまらない。そうした「つまらなさ」の原因を、自らの集中力の無さに求めるのではなく、仕事そのものに求めようとすれば、いつまでたってもキャリアは上向かないでしょう。 しっかり生きようとするかぎり、人はキャリアに迷うものです。しかし、ただフラフラと迷っても、どこへもたどり着きません。僕たちは、もう少し「キャリアの迷いかた」について考えてみるべきではないでしょうか。 そんなことを思いながら、僕はこの本を執筆しました。個人的には、はじめて物語調の本にチャレンジしています。ある就活中の若者が経験を重ね、マネージャーになるまでの「迷い」に焦点を当てたストーリーです。発売は、お盆あけの8月23日(木)です! ![]() を、よろしくお願いします。 m(_ _ )m NED-WLT管理人 酒井 穣 追伸:本書もChabo!本です。本書の著者印税の20%が、特定非営利活動法人JENを通じて、世界中の難民・被災民の教育支援、自立支援に使われます。Chabo!発足以来、2012年6月末時点までの寄付金総額は102,712,337円と、なんと1億円の大台を超えました!関係各位のご協力に感謝いたします。 ●無料メルマガ『人材育成を考える』もよろしくお願いします。 ●twitterもやってます:http://twitter.com/joesakai #
by ned-wlt
| 2012-08-14 20:14
| 著書に関すること
僕たちは、社会的に大切なものが失われようとするとき、それを「文化」と呼び、保護しようとします。それが社会にしっかり根付いていて、人々の日常であるかぎりは、そこに「文化」という言葉は使わないところに気がつくと、「文化」とは、それが失われる危機を前にしてはじめて、人々の記憶に「立ち上がってくる」ものなのだということがわかります。
少なからぬ日本人にとって、SONYは特別な存在だと思います。SONYはもはやただの一企業ではなく、日本を象徴する存在と言っても言い過ぎではないでしょう。個人的にも、これまでに多くのSONY製品を購入してきたし、お金が足りず買えないときも、常にSONY製品のカッコよさにあこがれてきました。 多くの日本人が「SONYに就職したい」と思ったことがあるでしょう。しかし、あこがれのSONYに就職することはとても難しく、友達の中でも、本当に優秀な人だけが選ばれてSONYの門をくぐることができるというイメージでした。実際に、僕の親友の一人は、中学1年生のころから「SONYに就職する」と周囲に宣言しつづけ、みっちり勉強し、現役で東大に入り、優れた成績で大学院に進み、SONYに入社し、今も日々SONYの夢を実現すべく邁進しています。 そんなSONYの調子がおかしくなって久しいわけですが、その原因がどこにあるのかを考えることは、どこか、日本の将来を考えることと同じ意味を持っているように感じます。SONYの理念(設立趣意書)にある「真面目なる技術者の技能を、最高度に発揮せしむべき自由闊達にして愉快なる理想工場」という言葉は、SONYのことを考えるとき、そして日本のことを考えるとき、必ず参照される「原点」としての風格と正当性を持ち合わせているように思うのです。 この夏、そんなSONY創業者である井深大氏と盛田昭夫氏の、SONYを「特別な存在」に変貌させていく決断と葛藤を描いた演劇『Heavenly Bento』が、青山円形劇場にて公演されます(2012年7月4日~8日)。この演劇を生み出したのは、ドイツ・ベルリンを拠点に活躍するアーティスト集団「post theater」です。 SONYが前衛的なアーティストたちによって演劇になるということは、SONYが「文化」として扱うのに十分な深みを持っているという側面のみならず、そのコアとなる価値が失われつつあることへの警鐘であるという点にも、やはり注目しなければなりません。 僕は、一企業を超えるSONYの価値が何であるか今一度確認するため、そして、その価値を少しでも継承するため、この演劇を観に行きます。SONYに対して、特別な思いを持っている人であれば、SONYが演劇でどのように表現されるのか、是非とも観ておきたいところではないでしょうか。 (これから、本を読みながら寝ます) 石垣と苔 ![]() ●無料メルマガ『人材育成を考える』もよろしくお願いします。 ●twitterもやってます:http://twitter.com/joesakai #
by ned-wlt
| 2012-06-19 22:21
| 時事評論のまね
色々な人が色々な形で述べてきたことですが、人間の成長はステップで考えることができて、それぞれ異なる意味を持ちます。もちろん、このステップが絶対というつもりもないし、例外も多数あるでしょう。まあとにかく、自分の考えを整理するために、ここにまとめておこうと思います。
とても大事なことは、以下に紹介するそれぞれのステップは「すばやく駆け上がればいい」というものではなさそうだというところです。それぞれのステップにおいて「これでいいのだろうか?」と悶々と悩むことを通して、次のステップで活躍するための武器を鍛えるという側面があるように思うからです。 1.やりたことが見えない段階 一説に、世界には3万種類の職業があると言われます。であれば人間が、自分の適職探しに悩むのは当然のことです。色々と悩んだ結果として選んだ職業も、それが本当に自分のやりたいことなのかと尋ねられれば、なかなか自信をもってYESと答えられないこの段階は、多くの人に共通して訪れると思います。 この段階では、地味な業務の積み重ねを通して、社会人としての土台を築きます。そうした活動を通して、世の中にはどのような仕事があるのかを「観察」することになるでしょう。そして多くの「隣の芝生」に目移りして、落ち着きを失ったりもします。ここではとにかく若くして活躍するライバルの話を見聞きしたぐらいで「焦らない」ことが重要だと思います。先は長いのですから。 2.できることをしながら、やりたいことを探す段階 与えられた仕事をこなしながら、周囲の信頼を積み上げていく段階です。周囲の信頼があると、与えられる仕事が多様になってきて「経験」として多くの仕事に触れることになります。多くの仕事に触れれば、徐々にではあっても、自分はどういう仕事が好きで、どういう仕事が嫌いなのかが見えてくるでしょう。この段階では、仕事の中で遭遇する「ちょっとした面白さ」を見逃さないことが大切だと思います。 へんに焦って、与えられた仕事も満足にこなせないうちから、他の仕事をやりたがったりしても、こうした環境は得られません。どのステップでも同じことですが、現在手掛けている仕事の品質にこだわれない人は、周囲から信頼されませんよね。なにをやるにせよ、周囲の人に助けてもらうことが必要だとすれば、これは致命的なことになります。 3.できることを、やりたいことに近づける段階 人間は、どうしたって「やったことのあること」しか上手にできません。だから、与えられる仕事というのは、必ず「今の自分にできること」です。そこからしか、自分の可能性は広がらないということを理解する必要があります。 とはいえ「今の自分にできること」は、資格を取得したり、スクールに通ったりして、少しずつではあっても自分で増やすことができます。そうすれば「今の自分にできること」にレバレッジをかけて「やったことがないこと」にチャレンジさせてもらえる機会も増えるはずです。 4.やりたいことをやる段階 前のステップがうまく回転しはじめると「自分にできること」と「やりたいこと」の重なりが増えてきます。雑務から解放されることはないものの(それは生涯を通してありえない)、朝、会社に向かうのが楽しみでしょうがない段階になります。 実感ですが、この段階に到達できる人は、意外と少ないように思います。個人的には、ステップ3と4の狭間でもがいている人の手伝いができたらと考えることが多いです。ここを分けるカギは「自らの成長を実感できること」だと思います。プロの棋士は、将棋の決着がついてから「差し手の振り返り」を行いますよね。ああしたことが、自らのキャリアを考える個人にも必要だと信じています。 5.やりたいことをやりながら、すべきことを探す段階 「やりたいことをやる」というのは、別に楽だったりするわけではなく、むしろかなりつらいことが多いような気がします。それでも全体としては充実感があって、明日も頑張れる状態がずっと続くような「希望」みたいなものと常に一緒にいられる段階です。 この段階に至っている人に共通するように思われるのが「自分さえよければ、それでいいのか?」といった疑問を持っているということです。それは「他者を気にかける余裕がある」というのとは違います。自分の命がいずれ終わることを強く認識し、なにかを残したいといった感覚に近いのではないでしょうか。 6.やりたいことを、すべきことに近づける段階 ボランティアなど、利他的な社会貢献活動に参加して、成果が出せる段階です。社会貢献活動は、まだ社会人経験が少ない若手でも実行することが可能ですが、その場合は「労働力」を無料で提供しながら、その対価としてお金ではなくて経験をもらうという関わりかたでしょう。 それに対して、それなりにキャリアが進んでいるこの段階での社会貢献活動への関わり方は「労働力」ではなくて「スキル」の提供になっていることが多く、短い時間の関わりでも、レバレッジが効くことがあるように思います。そうした経験を通して、自分の持っているスキルが、どのような社会的問題に対してポジティブな影響およぼすことができるのかを認識していきます。 7.すべきことをする段階 やりたいことをしながら、それがそのまま優れた社会貢献になっていて、かつ、その活動から、自分や家族が生きていくための対価が得られるような段階です。おそらくは、この段階に至ることがキャリアの(1つの)ゴールではないかと思います。 最後に、繰り返しになりますが、これらのステップは「すばやく駆け上がればいい」というものではありません。晩年まで、下位にあるステップで実力をためこみ、あるきっかをもって一気にステップを駆け上がっても、それは個人の人生として、誰に恥じるところもないものだと思います。大切なことは、こうしたキャリアのステップを意識しつつ、今の仕事に集中して、どのステップにおいても、周囲の信頼を裏切らないことでしょう。 できること、やりたいこと、すべきこと。この3つの重なりを求めて悩み苦しむことから逃げることだけは、してはいけないことのように思います。 (今日も、色々と仕事をします) ![]() ●無料メルマガ『人材育成を考える』もよろしくお願いします。 ●twitterもやってます:http://twitter.com/joesakai #
by ned-wlt
| 2012-06-09 13:21
| ちょっぴり経営学
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