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英語の公用語化と、経済のグローバル化について考えています。その文脈で、自分として今一度、この英語というやっかいな問題について、考えを整理しておきたいと思います。短時間での書きなぐりで、まともな編集をしていないので、かなりの長文になります。
0.はじめに 僕は、日本が大好きだし、日本語も愛しています。外国に長く暮らした日本人の多くにみられるとおり、客観的には、僕個人はちょっと国粋主義的ですらあります。 オランダ在住時代には、世界で誤解されている日本像を改めるため、オランダの高校生たちの教育にもコミットしていました。特に、オランダが日本に謝罪を求めるのは、植民地喪失の怨みからであるとする、抑留経験のあるオランダ人による自省の書『西欧の植民地喪失と日本』は、彼らの親日感情を伸ばすために、とても有効でした。 子育てという文脈においても、僕は国際人というナイーブな発想をこれっぽっちも信じません。シオランの「私たちはある国に住むのではない。ある国語に住むのだ。祖国とは国語である。」という言葉を、このブログの一番はじめに取り上げているとおり、日本語の深い理解なくして、外国語の習得などないと考えています。 1.英語習得のリスクについて 拙著『シンプル英語学習法』にもまとめたとおり、人間の脳にとって、外国語を習得することには、無視できないリスクがあると思います。 言語学的には、だいたい10~12歳(クリティカル・ピリオド)を超えると、人間は、外国語の習得能力が極端に低下することが知られています。この理由に関しては、わかっていないことが多いものの、僕としては「言語とは人格そのものであり、複数の言語を習得することは、多重人格化を引き受けること、すなわち自我崩壊のリスクを伴う」という仮説を持っています。 第1の結論として、英語に限らず、外国語の習得には「毒」としての有害な側面があり、脳がそれを嫌っている可能性を指摘しておきます。 2.英語力と年収の関係 2005年11月の朝日新聞では、仕事で英語を使う人は、使わない人に比べ、女性で40%、男性で18%年収が高いことが紹介されています(大阪府立大学経済学部、鹿野繁樹准教授による調査)。 プレジデントファミリー2008年5月号『英語が喋れると、年収が高くなるのか?』では、英語ができる人の年収は、同年代の平均的な年収よりも209.4万円高いということが示されました。 リクルートによる2010年12月2日の資料では、英語力をもった人材の求人数が、2009年と比較して、2.7倍(全求人数の20%)にまで高まっていることが示されました。この傾向は、おそらく、今後も続くと思われます。 もちろん、年収は英語力だけできまるわけではなく、基礎能力の高さや、努力する習慣の有無など、色々な要因が背景にあるでしょう。とはいえ、雇用する側が、英語力に付加価値を感じており、そこにプレミアムを支払っているという現実は動きません。 第2の結論として、英語力の習得には(今のところは)個人としても会社としても、高いリターンがあると言えるでしょう。 3.英語の習得にかかるコスト 英語の学習に必要となる時間は、膨大なものです。覚悟を持って、毎日おこたらず、しっかりと勉強を続けないと、英語を習得することはできません。テクニカルには、自分の「典型的な一日」を思い出したとき、そこに英語学習の時間がない人は、生涯、英語力を身につけることはないでしょう。 ここには当然、英語学習のために取っている時間を、他のスキルを習得するために使うという発想(機会費用)があります。そもそも、英語だけできても仕方がないわけで、英語よりも、まずはビジネス・スキルをしっかりと磨くことが重要という考え方には、説得力があります。 ただし、この考え方は、英語の学習とビジネス・スキルの学習は、それぞれ独立した存在であるという前提が正しいときに、特に際立ちます。しかし、学習理論の世界には「イマージョン法」というものがあり、英語とビジネス・スキルを同時に学ぶという発想があります。 僕の英語力も、オランダ企業(社内公用語は英語)での勤務が、結果として、実務を英語でこなすというイマージョン環境になっていたことと関係があります。この意味では、今現在、実務で英語を使わざるを得ない人と、そうでない人の間には、学習機会の不平等があるのは明白で、ここはもっと問題視されるべきところではないでしょうか。 第3の結論として、英語の習得には、相当なコストがかかるが、それを下げる方法は、不平等に提供されているということが挙げられます。 4.自動翻訳機への期待 自動翻訳機の性能は、まさに日進月歩で進んでいます。ビジネスをする程度には十分な性能の自動翻訳機が、安く手に入るような時代は、いつかは訪れるでしょう。そうなれば、高いコストを支払うべき理由も、わざわざ毒を受け入れる理由も少なくなります。 しかし、自動翻訳機の完成は、先進国に暮らす人、すなわち日本人にとっては、バラ色の未来ではなく、厳しい未来です。なぜならそれは、低賃金な国家に暮らす人々が「日本語」を話し始めるということであり、それは平均賃金の極端に高い日本から、多くの仕事が奪われるということを意味するからです。 外国語習得の難しさは、先進国にとっては、労働の参入障壁になっているという部分が見えないと、自動翻訳機の恐ろしさを見誤ると思います。この視点からは、英語の習得でなんとかなっていた時代というのは、むしろラッキーな時代として振り返る日が来るのかもしれません。 どのみち、2010年に需要のあるトップ10の仕事は、2004年にはまだ存在していなかった(ソースビデオ)というスピード感で、僕たちが今持っているスキルは陳腐化して行きます。「いずれ必要なくなるよ」というコメントは、英語に限らず、他の多くのスキルに共通するものであるという認識が求められます。なんにせよ、僕たちは、生涯をとおして学び続けなければならないのです。 蛇足ですが、自分でアプローチすれば、収益を改善できる問題に対して、誰かが解決策を提示してくれるまで待つ(しかも、それはいつになるかわからない)という態度は、経営者的ではないと思います。経営者を目指す場合は、やはり、英語の勉強をすべきだと、個人的には思います。 第4の結論として、いずれ自動翻訳機は整備され、英語力の価値は下がるでしょうが、そこにある未来は、これまでとは比較にならないレベルの、厳しい競争社会になると考えられます。 5.ダブル・スタンダードの観察 人類史とは、つまるところ、グローバル化の歴史であり、大きく見れば、過去に一度として、この流れが逆流したことはありません。ローカルなものは、徐々にその力を弱めていく運命にあるからこそ、そうした中に価値を認め、それらを保護していかないとならないのです。 この流れに従って、日本国も、かつて、アイヌ語や八丈語、与那国語を話す人々に、日本語を直接・間接に強要してきた歴史があります。今では、これらの言語は、ユネスコによって「消滅寸前言語」に指定されています。 過去、自分たちが別の言葉を話す人々に日本語を強要し、それをほとんど振り返らないにも関わらず、いざ自分に英語が強要されると、脊髄反射的に反発するのは「ダブル・スタンダード」です。僕自身のこととしても、これを反省する必要があると強く感じています。 以前このブログでも触れたとおり、多様性を持つことは、多様な世界に対応するための必要条件です。多様な言語を保存するのは、人間に多様な考え方を持たせることにつながるでしょう。これは、将来おこりうる様々な危機に対応するために、きっと重要なことになるはずです。 この視点では、外国語習得による多重人格化には、リスクだけでなく、複数の考え方を1人の人間の脳内に持つことができるというベネフィットの可能性も見えてきます。これについても、拙著『シンプル英語学習法』で「アルターエゴ仮説」として触れました。 第5の結論として、全ての言語には、失われてはならない貴重な価値があり、これらは等しく、滅ぼされてはならないと言えます。 6.英語は本当にグローバル言語なのか? およそ70億人の人類の中で、1億2千万人(今後はさらに減少する)しか話さない日本語は、残念ですが(今のところ)ローカル言語です。 89年後の2100年には、日本の人口は、楽観シナリオで約6,400万人、悲観シナリオで約3,800万人にまで減少します。対して世界人口は、100億人規模にまで増えていると予想されています(国土交通省の資料『国土の長期展望に向けた検討の方向性について』より)。 これに対して英語は、論文や特許といった付加価値の高い文章の記述に最も多く用いられている言語であり、現実として(今は)ビジネスの公用語です。週刊東洋経済(2010年9月18日号)では、世界の英語学習者は、2000~2010年の10年で、10億人から20億人に倍増していることが紹介されています。 同記事によると、国際交流の74%までもが、母国語が英語ではない、ノンネイティブ同士によるコミュニケーションで成り立っています。ネイティブのように完璧な英語は、ビジネスの現場では必要なく、母国語の異なるノンネイティブ同士が、お互いに苦労をして英語でコミュニケーションをしている現実が見えてきます。グローバル言語は、正確に表現するなら、英語ではなくて「ブロークン・イングリッシュ」なのです。 もちろん中国語の重要性も、今後高まることは疑えません。しかし、中国の英語教育は成功しており、近い将来、中国は、英語を話す人が最も多く暮らす国になる(ソースビデオ)と言われています。この意味では、中国とのビジネスであっても、英語でなんとかなるわけです。 第6の結論として、自動翻訳機が完成するまでは「ブロークン・イングリッシュ」の地位は堅固であると言えるでしょう。 7.日本語を世界に普及させるという道 とはいうものの、英語をグローバル言語として認知するだけでは、悔しいです。僕たち日本人には「日本語を英語に負けないグローバルな言語にする」という発想も必要です。こうした活動こそ、真に愛国的なものではないでしょうか。 現在、この事業に関わる人々の努力は、世界133カ国、約300万人の外国人が日本語を学んでいるという段階(2006年時点)まで到達しています。世界では、約44,000人の日本語教師が活躍しているのです(ソース)。僕たちには、この人々を応援する義務があるでしょう。 しかし、300万人の日本語学習者に対して、20億を超える人々が英語を学んでいる現時点では、日本のすばらしさを世界に伝えるためにも、英語力が求められるというのが現実のように思われます。 第7の結論として、日本語を学ぶ人々を増やす努力をするためにも、英語で発信する力をつける必要があると考えます。 ●まとめ 日本人にとっては、まず、日本語の習得が重要であることは明らかです。同時に、ゲーテがかつて「外国語を知らないものは、母国語も知らない」と言ったとおり、英語の習得と日本語の習得は、必ずしも排他的な学習とは言い切れません。何かを理解するためには、他の何かと対比するという態度「も」重要なのです。以上をまとめると、以下のような視点を考慮する必要があると思います。 ・英語に限らず、外国語の習得には「毒」としての有害な側面がある ・英語力の習得には、個人としても会社としても、高いリターンがある ・英語の習得コストは一般に高いが、環境によってかなり異なる ・自動翻訳機の完成は、必ずしもバラ色の未来を意味しない ・全ての言語には、失われてはならない貴重な価値があり保護が必要である ・現在のグローバル言語は、ブロークン・イングリッシュである ・日本語をグローバル言語化する努力にも、英語力が必要である 南国の美しい島には、毒をもった生物が多く暮らしています。そうした場所において楽しく生きるには、美しさを保護すると同時に、危険を認識し、局所的にそれを避けることも重要です。危険を認識しないということは、本来は自分でコントロールすることができるリスクを無視し、運を天にまかせてしまうことでしょう。 英語にも、悩ましい多くの毒があります。それらを認識しながらも、英語力によって享受できるプラス面も評価しつつ、自分の責任で、英語を勉強するか、しないかを決める必要があると思います。同時に、自動翻訳機が完成した後の社会に対して、準備をしておくことも重要でしょう。 日本は、10人に1人の若者を海外留学させるという国家戦略を描きました(ソース)。この戦略を正しいと考えるか、間違っていると考えるかは自由です。個人的には、公教育としての小学生への英語教育に関しては、日本語や日本の歴史を学ぶ機会が減少してしまうという負の面を、もっと議論する必要があると考えています。 ですが少なくとも、今後の世界においては、英語を使える人材が増えていくことは確実です。マジョリティーに従う必要はまったくありませんが、マイノリティーとして生きることの難しさ(個人的にはオランダで9年近く体験したわけですが)を受け入れるかどうかには、慎重な判断が求められるでしょう。 +1.このエントリを振り返ってみる 過去の僕は、英語のテストで赤点ばかりとっていました。大学を卒業するまで、飛行機に乗ったことすらありませんでした。そんな僕は、かなりのコストをかけて英語を習得し、いまでは、英語で仕事をすることに苦痛を感じなくなっています。 僕は、英語力の獲得に大きく投資してきました。ですから当然、その投資が無駄になることを嫌います。この視点で客観的にこのエントリを読むと、ここには、自分の投資に有利なように世界を動かしたいという「ポジション・トーク」としての側面が観察されます。そうならないように自分なりに気をつけたつもりですが、やはり自分がかわいいという甘さがあるのでしょう。 飛躍しますが、こうした英語力に関する「ポジション・トーク」は、日本国内のみならず、世界的なマジョリティーを形成しつつあります。この政治的な社会現象を分析・研究することは、マーケティング的に、とても興味深いと感じます。 (散漫だし、MECEでもなさそうですが、今日はこのあたりで) 関連記事 「この変化は、優しくない。」 2011-09-25 「傾かない船と、過剰適応。あるいは社内公用語の英語化について。」 2011-09-23 「ヘボ経営者からの国際電話(もちろんSkype)」 2007-02-01 ●メルマガ『人材育成を考える』もよろしくお願いします。 ●twitterもやってます:http://twitter.com/joesakai #
by NED-WLT
| 2011-09-26 22:30
| 時事評論のまね
「ネットを使えるか、使えないか」という次元の問題は終わりつつあるように思います。コンピュータの側が、ユーザーに近づこうとする流れは加速しており「誰にでも使えるネット」が実現しつつあるからです。
その先に訪れる未来は、しかし、先進国に暮らす多くの人にとって優しくない姿をしているだろうと感じています。 1.貧困と富裕のこれまで 世界では、すべての人が食べるのに十分な食糧が生産されています。しかし、現在、世界ではおよそ7人に1人、10億人近い人が飢餓に苦しんでいるのが現実です(注1)。 飢餓というほどではなくとも、食べ物に困るような深刻な貧困というレベルで言えば、実に世界の半数がこれに相当するとも言われています(注2)。 これまで、こうした貧困と富裕の格差は、国家単位で顕在化してきました(注3)。ところが、この流れは、ネットによって全く別の形になろうとしていると思うのです。 2.先進国における失業問題 ネットは、本質的には距離の意味を破壊する技術です。世界中どこにいる人ともコミュニケーションを取ることができ、究極的には、地球の裏側にいる人とも同じ部屋を共有しているような気分すら生み出せると考えられます。 こうなると、同じ仕事であれば、より安い賃金でそれを請け負ってくれる人のところに、同じ賃金であれば、より質のたかい仕事をしてくれる人のところに、仕事が集中するようになるでしょう。 これは要するに、これまで先進国の既得権に守られてきた人々から、飢えに苦しんできた人々のところに労働がシフトするということです。これにともない、先進国では、深刻な失業問題が発生することになります。この解決方法は、ベーシック・インカムぐらいしか思いつきません。 3.貧困と富裕が隣り合わせの時代 この変化が生み出すのは、食べるものにも困るような貧しい人と、世界中から仕事があつまる富める人が、隣り合わせに暮らすような社会です。 今現在、飢えに苦しむ人々にとっては、これはチャンスなわけですが、先進国に暮らす人から見れば、この変化は、生活水準の極端な悪化と映るはずです。 おそらく、この変化は、食料価格の極端な高騰という形で見えてくるのではないかと思います。これまで飢えてきた、地球の半数をしめる人々に収入がもたらされ、食料の取り合いが発生すると考えられるからです。 4.ベーシック・インカムは優しくない この状況にあっては、先進国においては、自国民であれば無条件に最低限のお金を支給するというベーシック・インカム制度を導入せざるを得なくなるかもしれません。 しかし、人間にとって労働とは、単に生活費を稼ぐための手段ではありません。労働を通して成長することは、それ自体がエンターテインメントとしての側面があります。このエンターテインメントが奪われることは、人間を破壊しかねないとすら思います。 5.この変化は、どこに行き着くのか ネットの発展によって、労働効率がより追求された未来においては、飢えという問題は解決するのかもしれません。しかし、そこに現れてくる未来は、多くの人間にとって優しい社会ではないかもしれないと、そんなふうに思います。 楽観的に考えれば、そうした未来の社会では、人間は、芸術や学問の分野において、より創造的なことに従事しているのかもしれません。しかし悲観的に考えると、隣に暮らす人々が争い合うような、厳しい社会の姿も見えてきます。 (これから、プロボノフェア2011に向かいます) (注1)WFPのデータ参照。 (注2)例えば『世界の半分が飢えるのはなぜ?』など。 (注3)WFPハンガーマップ(pdf)参照。 さかな ![]() 新刊『ご機嫌な職場 「職場コミュニティー」再構築の方法 ●メルマガ『人材育成を考える』もよろしくお願いします。 ●twitterもやってます:http://twitter.com/joesakai #
by NED-WLT
| 2011-09-25 11:52
| 時事評論のまね
沖縄での講演を終え、友達のいる宮古島で休暇を過ごしました。ずっと行ってみたかった沖縄を初体験し、すっかり沖縄のファンになった次第です。海のシルクロードにあり、世界に誇るべき独自の文化を発展させてきた沖縄には、日本人が学ぶべき多くのことが眠っていると感じました。
琉球国は南海の勝地にして、三韓(朝鮮)の秀を集め、大明(中国)を以って輔車となし、日域(日本)を以って唇歯となす。この二つの中間にありて湧出する蓬菜の島なり。船をもって万国の津梁(かけ橋)となし、異産至宝は十方刹に充満せり。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() (明日は、プロボノフェア2011です!) 関連記事 「クレタ島滞在記−7(完結編)」 2007-08-12 「テネリフェ島旅行記−7(完結編)」 2007-01-23 #
by NED-WLT
| 2011-09-24 23:53
| 旅行と観光
日本が世界に誇る経営学者、野中郁次郎先生がよく引用される言葉に「安定こそ不安定であり、不安定が安定である」(出典:金井壽宏『組織変革のビジョン』)というものがあるそうです。
特定の環境に過剰に適応している者は、ちょっとした環境変化によって滅んでしまうという、生物の世界において頻繁に観察される事実が、経営の世界においてもあてはまるという、そういう話です。 メンタルヘルスの世界にも、過剰適応症候群(over-adjustment syndrome)という言葉があります。周囲との衝突を恐れるあまり、自分を押し殺しつつ、周囲の意見に自分を合わせすぎることで、大きなストレスをためこんでしまうことを指しています。 今、日本では、大学や企業における公用語の英語化の議論が広く巻き起こっています。そんな中で「顧客も従業員も日本人なのだから、英語化するのは馬鹿げている」という批判を目にすることがあります。 日本はこれから、国内市場の急速な縮小と、労働者人口の急速な縮小の時代を迎えます。国内市場が縮小するということは、市場を世界に求めていかないとならないことを示します。また、労働者人口が縮小するということは、採用する人材も、世界に求めていかなければならないことを示します。 今、日本語にこだわり、英語化への抵抗を示すということは、そんな日本という環境に、過剰適応をしようとする行為とは言えないでしょうか。 「安定こそ不安定であり、不安定こそ安定である」という、この元NEC社長・会長である小林宏治氏の言葉は、NECという偉大な企業が、PC-9800などの名機を開発しながらも、PC市場において世界を取れなかったことと合せて考えると、その重さがしみてくるのです。 大波に打たれても傾かない船は、かならず沈没することになります。同様に、IT革命による世界のフラット化という大波が打ち寄せている時代に、日本語にこだわることは、とても危険なことのように感じます。 小飼弾さんのブログに「iPhoneがガラパゴスケータイより劣っていていい理由」という名エントリがあります。インターネットを大成功に導いている理由は、未完成なまま製品をリリースすることにあり、完成度は製品のリリース後に、環境に合わせて後から高めていくというモデルを紹介しているものです。まさに「不安定が安定」という名言に象徴されるモデルを、インターネットがグランド・デザインとして内包しているということです。 こだわるべきポイントを、日本語ではなくて、世界にあまたある未解決の問題とすること。そして、そうした問題をいかに効率的に解決するのかを、組織にかかわる人材の能力を高めつつ考えることが現代の経営ではないかと、今はそんなふうに思うのです。 (休暇の中で考えたこと) <写真は別途挿入> 新刊『ご機嫌な職場 「職場コミュニティー」再構築の方法 ●メルマガ『人材育成を考える』もよろしくお願いします。 ●twitterもやってます:http://twitter.com/joesakai #
by NED-WLT
| 2011-09-23 21:22
| 時事評論のまね
学校を卒業して、入社してくる新人たちの気持ちを考えています。自分自身のことを振り返っても、あれは不思議な体験だったのですが、こうした学生から社会人への「ギャップ」を理解することが、新人のキャリア教育(広い意味での子育て)にとって、非常に重要なことのように思われたからです。
経営学者のメリル・R・ルイスによれば、新人とは知らないカルチャーと出会う(トレーニングこそ受けていないが)文化人類学者であり、その気になればエスノグラファー(民族誌作成者)だ。未知の文化に入って、とまどったこと、不思議に思ったことを書き記すことのでいるひとがエスノグラファーだ。会社に入った新人はユース・カルチャーの世界から、大人カルチャーの世界に入る。同時に、会社にはコーポレート・カルチャーがあり、この意味からも新人は新しい文化と出会う。はじめに入社する会社の影響は、かなり大きいものがあるでしょう。ロケットは、発射される前であれば、飛ばす向きを自由に変えることがでいますが、いったん飛び立ってしまった後に、その軌道を修正するのは難しいことと似ています。 このロケットの発射で、第1のベル(それは入社式と呼ばれる)が鳴ります。重たい空気のカベを突き抜けようとするロケットは、ガタガタと震えて不安定なのですが、操縦者にできることは少なく、ただ身を固く小さくして不安に耐えるしかありません。 会社に就職したひとは、二度入社式を迎えるようなところがある。一度目はもちろん学校を卒業した新人としての入社式、ルイスの「知らないカルチャーと出会う文化人類学者」の誕生である。二度目の入社式は、ある程度コーポレート・カルチャーにも慣れ、会社の内情やパワー・バランスにも通じた社会人としての旅立ちになる。「とりあえず入った」から「とうとう本当に入った」へと進んでいく。二度目の入社式が、「この会社は」から「うちの会社は」という言葉の移行に象徴されることもある(し、さらに先になることもある)。居酒屋で「うちの会社は~」なんていう愚痴をいうようになったとき、第2のベル(愛社心の発露)が鳴ります。日本人にとって「うち」という言葉の持つ意味は大きく、そこには自我の前提とも言えるような、共同体への「依存」が見られます。いわゆる「帰属の欲求」というやつです。この段階になると、ロケットは安定飛行に入っていると考えられるでしょう。 しかし、会社に雇用されている個人が会社と築けるのは、あくまでも「非対称な依存関係」です。会社にとって、人材が命であることは疑えませんが、しかし、会社が特定の個人に過度に依存するような経営をすることは(リスク管理という視点から)あり得ません。 しかし、仮に雇用されているとしても、自分と会社の依存関係のバランスを変化させることは可能です。付加価値の高いスキルを身につけていく個人には、会社のほうも、依存度を高めていくからです。結果として、こうした個人は昇進していくことになります。 昇進し、より重い責任を得た個人は「うちの会社は~」という傍観者的な愚痴を封印し、いつしか「うちの会社を~」という主体的なアクションを伝える、より公式で強い言葉を使うようになっていきます。 このころ、人はユース・カルチャー(自分の利害のみを考える子供社会の文化)から完全に大人カルチャー(自分以外の他者の利害も考える大人文化)の世界に入り込むように思います。本人が会社への依存をあまり意識しなくなるこの段階で、第3のベル(リーダーシップの発露)が鳴ります。 こうした個人が、特定の会社に雇用されているのは、その会社の理念に共感するからであり、自分の判断です。こうした人材は、大きなミスを犯せば、その責任を取って辞任するという覚悟を持っているプロフェッショナルでもあるでしょう。 愚痴の世界の住人から抜け出し、世界を変える主体としての責任を自覚したとき、人は学生であることをやめ、本当の社会人になるのだと思います。そして、人間の一生において、この第3のベルを鳴らせるかどうかが、最も重要で、かつ困難なボトルネックのように思われます。 ここで一つ、大きな疑問があります。はたして第2のベルは必要なのかということです。僕がヨーロッパに暮らしていたころ、日本に見られるような愛社心のようなものは(もちろんイチゼロの話ではありませんが)ほとんど感じられなかったということも、この疑問を大きく深刻なものにさせています。 リーダーシップとプロフェッショナリズムを獲得している子供は、すでに立派な社会人であるとするならば、子供の教育において何を重視すべきかというところが見えてきます。ここらへんは、僕なりに今後も考えていきたいテーマです。 (沖縄での講演会の準備中です) 夏の思い出 ![]() 「突き抜けた人は、どうしてみんな子供なんだろう?」 2011-07-02 新刊『ご機嫌な職場 「職場コミュニティー」再構築の方法 ●メルマガ『人材育成を考える』もよろしくお願いします。 ●twitterもやってます:http://twitter.com/joesakai #
by NED-WLT
| 2011-09-16 00:40
| ちょっぴり経営学
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