NED-WLT
2015-09-06T22:42:09+09:00
NED-WLT
オランダから帰国し、日本での生活がはじまりました。twitter: joesakai
Excite Blog
介護情報サイトを立ち上げました。
http://nedwlt.exblog.jp/24649664/
2015-09-06T22:42:13+09:00
2015-09-06T22:42:09+09:00
2015-09-06T22:42:09+09:00
NED-WLT
お知らせ
KAIGO LABhttp://kaigolab.com/
介護は、ある日突然はじまります。いつかは、そういうこともあるだろうと漠然とは覚悟していたかもしれません。しかし、実際に介護と向き合うのは、とても辛く、厳しいものです。介護には、終わりも見えません。
そうした介護が、今、多くのビジネスパーソンの肩に乗ってきています。介護をきっかけとして昇進をあきらめたり、最悪のケースでは、介護をするために離職し、失業状態になる人もいます。
介護によって、個人のキャリアが犠牲になってしまうような状態は、少しでも改善されるべきだと考えています。
私の場合は、自分が大学生だったころから、母親の介護に寄り添ってきました。途中、自分がオランダに暮らしていたこともあり、日本にいる母親の遠距離介護も体験しました。
この介護対応のため、オランダから10時間以上のフライトで一次帰国し、日本に数日滞在しただけでまた、オランダに戻ったことも何度もあります。そして、こうして帰国した今も、母親の介護は続いています。
介護は、自分を愛してくれた両親や配偶者、また、自分が愛する人を相手にするものです。こうした、自分にとって大切な人が、なんらかの身体的・精神的な課題によって、自立することが困難になる瞬間は、誰にもやってきます。
厳しい介護の日々を通して、時に、そうした自分にとって大切な人々のことが、無条件には愛せなくなっていくのは、とても悲しいことです。
同時に、介護を受ける側(被介護者)にしても、介護の苦労を、介護者に対して、頼みたくて頼んでいるのではないという事情があります。被介護者にしても、介護者と同じように「愛し合うもの同士、一緒に、幸せに生きる」ということを目指して、奮闘しているわけです。
しかし、これだけ大変な介護については、介護に関わる前は、それに関心をもっていないのが一般的です。だからこそ、いざ介護がはじまると、誰もがとても戸惑うことになります。
この戸惑いの原因は、そのほとんどが「情報の不足」に起因しています。特定の情報をもってさえいれば、介護の負担が減らせるということはとても多いのです(しかしそれでも、介護は大変なものであることにかわりはありませんが)。
本サイトは「知らないと損をする」という介護における課題の認識を前提として、介護に向き合う必要にせまられた人々に対して、各種の情報を提供することを目的としています。
KAIGO LABhttp://kaigolab.com/
よろしければ、身近に介護をしている方がいらっしゃる場合、本サイトをご紹介いただけたら、とても嬉しいです。よろしくお願い致します。
酒井 穣]]>
当事者意識について
http://nedwlt.exblog.jp/23821707/
2015-04-02T14:39:00+09:00
2015-04-02T14:47:44+09:00
2015-04-02T14:39:07+09:00
NED-WLT
ちょっぴり経営学
●ビジネス階層論
簡単に言えば、全てのビジネスは(1)課題の選択(2)課題解決の戦略策定(3)戦略の実運用、という3階層で表現することが可能だと思います。まあ、他の意見もたくさんあるので、ここは軽めに流してください。
この中で、多くの新社会人は(3)の実運用の仕事からキャリアを始めることになるでしょう。稼働率や獲得率など、いわゆるKPIと呼ばれる指標をモニタリングしつつ、その改善に努めるような、ビジネスの根幹を支える仕事です。
この、実運用の仕事経験が少ないままに、上位の戦略策定をやろうとするのは、あまりオススメできません。実運用のイメージを持たない人が戦略策定をやると、実行可能性(動かす人々の心情)に配慮した戦略を描くことができないからです。
いわゆる「絵に描いたモチ」というやつですね。最近、常見さんが『下積みは、あなたを裏切らない!』という本を出されていましたが、僕も下積みは大事だと思います。将来、実運用部隊をマネジメントする立場になったとき、この経験がないと、部下となってくれる方々の心情に配慮することもできません。
●当事者意識とはなにか
当事者意識を簡単に表現してしまえば、先の(1)→(2)→(3)という、課題から運用までの「一気通貫性」を正しく理解し、KPIという指標の達成は「目的」ではなくて「手段」であるということを知ることだと思います。
日常的には(3)の実運用だけで精一杯です。ただ、そのまま、40年という月日を過ごすひとと、どこかで(2)や(1)の世界に上がっていく人の違いは、この「一気通貫性」を知り(1)の課題を「自分のもの」として、それに食らいついているかどうかだと考えています。
もちろん、(3)→(2)→(1)と上がっていくことが絶対だと主張したいのではありません。キャリアに正解はなく、そこに普遍的な理論があるはずもないからです。
とはいえ、個人的には、普段は(3)の実運用の世界にいながらも(1)の課題解決に心を向け(2)の戦略策定に疑いをもちつつ(3)の改善のみならず、時に(2)についての提案ができるようになっていくことを考えてもらいたいな、と思っているという話です。
●いいたいこと
同じ実運用の仕事をしていても、そこから抜け出す人と、そうでない人に分かれていきます。その違いは、僕が見てきた限りでいうなら、とても小さなもののです。
他にも色々な要因があるのでしょうが、少なくとも当事者意識を持てるかどうかが大事だと感じています。これは、どういうわけか意外と難しいことだからこそ、ここで差がついてしまうのでしょう。
より一般化するなら、自分の持ち場から「遠くで起こっていること」を、どこまで「自分のこと」として考えることができるかどうか。新社会人にふれて、フレッシュな気持ちになり、こんなことを考えました。
じじくさいですね・・・
(新社会人のみなさま、おめでとうございます)
さくら
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謹賀新年(2015年)
http://nedwlt.exblog.jp/23294231/
2015-01-04T20:11:14+09:00
2015-01-04T20:11:25+09:00
2015-01-04T20:11:25+09:00
NED-WLT
お知らせ
色々あったのに、まだ6年にもならないんだー、と思うからです。
で、このブログを開設して、ほぼ10年という月日が流れました。10年ですよー。やればできるものですね・・・って、最近は更新が滞っておりますが・・・。
ブログ、メルマガの執筆が滞っているのは、2013年に、仲間と、自分たちの事業立ち上げたためです。事業のほうはというと、多くの方々に支えていただき、楽しく活動できております。メンバーも増えてきて、事務所を高田馬場に移転し、明日からはメンバーの皆と合宿です。
http://www.bolbop.com/
また、それなりに忙しく動き回っているなか、昨年も2冊の本を出すことができました。アウトプットは、僕にとって生きるための糧なので、今年もチャレンジしていこうと思います。
さて、2014年は「自他の境界にチャレンジする年」として、他者への「共感」からエネルギーを得ることを目指しましたが・・・はっきり言って、まったく達成できなかったと思います。むしろ、失敗もしました・・・。
今年、2015年は「一球入魂の年」としたいと思います。業務が縦横に拡大しており、パラレルに複数のプロジェクトが走っています。だからこそ、一つ一つの仕事の品質にこだわらないといけないと思うからです。
今年も、どうぞよろしくお願い致します。
今年が、皆様にとって飛躍の年となりますように。
NED-WLT管理人
酒井 穣]]>
経営学の存在意義に関して
http://nedwlt.exblog.jp/22969230/
2014-11-05T10:21:00+09:00
2014-11-05T10:30:58+09:00
2014-11-05T10:22:04+09:00
NED-WLT
著書に関すること
(幸運とは、準備が機会に出会うことである)
オプラ・ウィンフリー(俳優)
経営(management)とは、目的を達成するために、ヒト、モノ、カネというリソースを最適に分配しようとする活動です。つまり経営とは、目的を達成するための手段であり、目的のないところには存在しえない概念です。広く解釈すれば、世界平和の実現にも、個人の幸せな人生の実現にも、経営が必要です。
とはいえ、過去の経営学は、基本的に企業を経営するという文脈を前提に発展しており、さらに、ビジネス以外のことにフォーカスを置いてはいません。しかし経営学の知識は、より広い範囲に活用できるものが多くあります。
なぜなら、経営学は「人間を幸福にする」という明確な目的をもった学問であるべきだからです。つまり本来の経営学は、目的を持って生きようとする人々に、その目的を達成するための手段を授けることで、人間を幸福にすることを目指しているはずなのです。
にもかかわらず、時に経営学は「お金儲けのための学問」であると考えられてしまうことがあります。しかしこれは過去の経営学の失敗であり、誤解です。顧客や従業員に幸福を届けることで、結果としてそこから利益が生まれることになるかもしれませんが、利益は手段であり、経営学の目的ではないからです。
経営学の中心には、かならず人間があります。ですから経営学は、心理学や脳科学、社会学や経済学といった広く人間を研究する分野にまたがり、そこを横断する形でしか成立しえない学問でもあります。経営学が非常に贅沢な学問であり、その探求には終わりがないということがご理解いただけるでしょう。
本書『幸せの経営学』は、いまいちど経営学本来の目的に立ち返り、経営学全体を網羅的に見て行くための入門書的な読み物としてまとめたものです。MBAの取得を考えていたり、留学前に経営学の全体像をつかんでおきたい方などのお役にも(少しは)立てると思っております。
を、よろしくお願いします。 m(_ _ )m
NED-WLT管理人
酒井 穣
追伸:本書もChabo!本です。本書の著者印税の20%が、特定非営利活動法人JENを通じて、世界中の難民・被災民の教育支援、自立支援に使われます。Chabo!発足以来、2014年1月末までの寄付金総額は106,558,253円で、1億円の大台を超えています!関係各位のご協力に感謝いたします。
●無料メルマガ『人材育成を考える』もよろしくお願いします。
●twitterもやってます:http://twitter.com/joesakai
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新刊『部下が働かない本当の理由』が発売となりました!
http://nedwlt.exblog.jp/22122105/
2014-05-15T12:28:31+09:00
2014-05-15T12:28:27+09:00
2014-05-15T12:28:27+09:00
NED-WLT
著書に関すること
今回の新刊『部下が働かない本当の理由』は、このギャップを作ってしまう時代背景と、それを埋めるための方法について考えるものです。本書は、水島課長と新人の友松君という2人のやりとりをストーリー形式でおいかけ、そこに解説をつけたものです。
まず、ストーリー部分だけは無料で読めるようにしましたので、こちら(無料ストーリー全67ページpdf)をお読みいただけると嬉しいです。以前から、小説を書きたいと思ってきたので、こうしてストーリーを発表できるだけでも、とても嬉しいです。
この無料ストーリーをお読みいただき、さらに背景について興味を持っていただけたら、本書をお読みいただきたく・・・
を、よろしくお願いします。 m(_ _ )m
NED-WLT管理人
酒井 穣
追伸:本書もChabo!本です。本書の著者印税の20%が、特定非営利活動法人JENを通じて、世界中の難民・被災民の教育支援、自立支援に使われます。Chabo!発足以来、2014年1月末までの寄付金総額は106,558,253円で、1億円の大台を超えています!関係各位のご協力に感謝いたします。
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ビジネスに求められる「想像力」と、その限界について。
http://nedwlt.exblog.jp/21724750/
2014-02-24T14:33:00+09:00
2014-02-24T14:34:30+09:00
2014-02-24T14:33:07+09:00
NED-WLT
時事評論のまね
こうした認識のズレは、要するに定義の共有ができていない(組織における共通言語化が進んでいない)ことが原因で発生するのだと思います。 ビジネスに求められる「想像力」というのは、要するに、「次に起こることを、どれくらいリアルに考えることができるか」ということです。これは、一般に使われる、芸術に関連するような「想像力」とは意味が異なるので、注意が必要でしょう。 実際に、ビジネスにおけるジュニアとシニアを分けるのも、まさに「次に起こることを、どれくらいリアルに考えることができるか」の差、すなわち「想像力」の差でしょう。 ジュニアは、様々な企画を無邪気に生み出すことはできても、その実現のために必要となるステップや各種リスクに関して「想像力」を働かせることができなかったりします。結果として、妄想や夢想に近い企画を立てて、失敗することにもなります。 これに対して、シニアは、過去の痛い経験などを通して、企画の実現に必要となるステップを「リアルに」考え、そこで起こりえるトラブルやチャンスを「リアルに」想定しつつ、その企画の実現可能性を正しく見積もることができます。 このような、ビジネスに求められる「想像力」は、なによりもまず、自らの経験から得られるものです。同時に、ビジネススクールにおけるケース・メソッド(事例学習)や、各種ビジネス書、経営学書などに学ぶことでも鍛えることが可能だと思います。 で、ここで一つ逆説的な考え方もあります。 大きな変化の渦のなかにある現代社会においては、この「想像力」が、かえってビジネスの邪魔になることもあるということです。そもそも、過去に正しかったことが、将来には間違いになることがあるわけで、へたに「想像力」を働かせるとよくないケースもあるということです。この逆説をキャッチーな言葉にすると、 未経験という資産 といったところでしょう。一般に、未経験であることは悪いこととされます。経験がないと、その業界や分野において「想像力」を働かせることができないからです。 でもだからこそ、常識にとらわれない、新しい考え方を生み出すことができたりもするし、チャレンジする気持ちも保てたりするのでしょう。 組織が成熟し、シニアが数的に大きくなっていくことのリスクはここにあります。シニアが増えると、現実的で、実現可能な企画が立案されます。しかしそれは、面白みに欠ける、イノベーションとはならないものだったりもするわけです(もちろん例外もたくさんありますが)。 ビジネスにおいて「想像力」は重要です。しかし、妄想や夢想にも大きな可能性があるし、実際に社会を変革するのは、妄想や夢想だったりするのかもしれません。もちろん、それだけではダメなのですが。 (ドイツからのお客さまとランチしました!)青森の思い出●無料メルマガ『人材育成を考える』もよろしくお願いします。●twitterもやってます:http://twitter.com/joesakai
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浅田真央選手と「素直さ」について。
http://nedwlt.exblog.jp/21707686/
2014-02-21T13:47:00+09:00
2014-02-21T14:41:55+09:00
2014-02-21T13:47:14+09:00
NED-WLT
時事評論のまね
この「素直さ」というのは、別の言葉で表現すれば「自分が良さそうだと思ったことを、実行に移す力」と言えそうです。これは、自らの成長限界を突破するための重要な手段であると同時に、想像以上に獲得するのが難しいものだと考えています。
長く、そんなことをモヤモヤとやってきたのですが、昨晩の浅田選手の演技を観て、感動し、考えが少しまとまったように思うので、以下、記事にしてみることにしました。
●子供の「素直さ」は失われていくべき
大事なのは、「素直さ」という特性は、才能ではなくて、獲得すべき能力であるということです。そして「素直さ」という究極の能力は、後天的に、いくつかのステップを超えていくことでしか、得られないものなのだと思います。
まず、子供の頃から一環して「素直さ」を発揮しつつ大人になるようなケースは、決してほめられたものではありません。なぜか。
子供の「素直さ」というのは、要するに、大人(コーチ)の言うことをよく聞くという性質にすぎないからです。その背景となっているのは、大人への恐怖と、大人からほめられたいという欲求にすぎません。子供の「素直さ」からは「自分」がどうしたいのかというものが見えてこないのです。
子供の「素直さ」とは「大人が言うことを、実行に移す力」であって、「自分が良いと思ったことを、実行に移す力」ではないという点がポイントです。
このように「大人が言うことを、実行に移す力」を持ったまま大人になってしまえば、ただ周囲の価値観に流され、上司から言われることを「こなす」だけのロボットのような人間ができてしまいます。なにせ「自分」がないのですから、なにかを「良さそうだ」と感じる「自分」もいないわけです。
●反抗期と自分の獲得、あるいは「素直さ」の喪失
「自分」の獲得に必要になるのが、反抗期です。大人の価値観に違和感を感じ、その違和感と向き合う中で、「自分」が見えてきます。
これは、大人の価値観に対抗するための、自分の価値観を生み出すということでもあります。それは、自分はどう生きていきたいのか、どのようなことを成し遂げたいのかといったことを(たとえそれが間違っていたとしても)自分で決めるということです。
しかし、この反抗することで「自分」をつくりあげるというプロセスによって、僕たちはいちど「素直さ」を失っているわけです。この代償は、あまり意識されることがないように思います。
●自分の目標へのロイヤリティーと、新たな「素直さ」の獲得
守るべきものは「自分のプライド」なのか、それとも「自分の目標」なのか。ここの判断が、運命の分かれ道のように思います。
「自分のプライド」を守ろうとすることは、鏡の裏側から見れば、「自分」の弱さを隠し、強がり、「自分」を変化させることから逃げるということです。当然、大舞台で転ぶようなリスクのある選択はできないでしょう。この状態は、「良さそうだと思ったことを、実行に移す力」の発揮を妨げます。
これに対して「自分の目標」を達成しようとすることは、基本的に、現在の「自分」を否定することでもあります。もし、現在の「自分」が正しいのであれば、既にその目標は達成されているはずだからです。
大舞台で転ぶような恥ずかしい失敗もして、打ちのめされ、現在の「自分」なんてたいしたことがないという事実と向き合ってはじめて、「自分が良さそうだと思ったことを、実行に移す力」が獲得されるのではないでしょうか。
スケート選手を対象とした研究で、一流選手ではない人たちは自分がすでに「できる」ジャンプに多くの時間をつぎ込んでいることがわかった。一方、トップレベルの選手は自分が「できない」ジャンプにより多くの時間を費やしていた。(中略)荒川静香は、金メダルをとるまでに少なくとも二万回も容赦なく冷たい氷面にお尻を打ち付けていたことになる。
『究極の鍛錬』p260より引用
「目線は高いのに、腰の低い人材」というのは、このようなステップを通してしか、生まれないのではないかと思うのです。荒川選手にせよ、浅田選手にせよ、イチロー選手にせよ、本当に突き抜けた存在に共通しているのは、結局のところ「素直さ」なのではないかと、そんなことを考えたのでした。
●まとめ+
以上の話をまとめると、成長限界を突破していく人々の背後には、以下のようなステップが共通するものとして見えてきます。
Step 1. 大人が言うことを、実行に移す力を発露させる
Step 2. 大人が言うことに反抗することで、自分を獲得する
Step 3. 自分で目標を掲げ、失敗し、自分の至らなさに打ちのめされる
Step 4. 自分の目標を実現するために、「素直さ」を発揮させる
Step 5. 自分の目標を実現し、より高い目標を立てる(Step 3に戻る)
僕のブログの過去の関連記事としては、以下のあたりでしょうか。この問題について、結構長いこと考えてきた軌跡が(自分には)面白いです。よろしければ、これらも読んでいただけたら嬉しいです。
『吸収力に関する理論―2』 2006-02-19
『経験から学ぶ力を高めたい』 2011-12-10
『動機づけとは、教育の手段ではなく、目的である。』 2011-12-23
■追記:長く僕のブログを読んでくれている友達から、このエントリに関連するのはむしろ、以下の記事であるという指摘を受けました。なるほど、「素直さ」があるからチャレンジするのではなくて、チャレンジするから「素直さ」が獲得されるのだと、そういう視点もありますね。
『誠実だから学のではなくて、学ぶから誠実になるのかも。』 2010-02-09
(お昼、食べ過ぎました・・・)
たらい
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「刺激になった」とは、どういう意味だろう。
http://nedwlt.exblog.jp/21688926/
2014-02-18T06:06:00+09:00
2014-02-18T06:44:39+09:00
2014-02-18T06:06:10+09:00
NED-WLT
時事評論のまね
刺激とは、一般には、僕たちに作用して、なんらかの反応を生み出す要因のことです。その要因になりえる事柄は多数あります。拡大解釈すれば、そもそも「生きる」ということは「刺激を受ける」ということでもあるでしょう。
とはいえ、特に知的な意味で「刺激になった」というときの意味は、かなり限定的であることに気がつきました。それは「それまで知らなかった合理性(ロジック)を知った」ことを伝えているということです。
僕たちは、日常の中に埋没していると、今の自分が選択している「生きかた」以外には、合理的なものはないと考えてしまう傾向があると思います。ある意味で、これは「自分は正しい、他者は間違っている」と信じたい、人間の弱さです。
意地悪くいうなら、だれか他者のことを「合理的ではない」と感じるとき、僕たちは「自分は正しい、他者は間違っている」ということを確認して、安心しようとしているわけです。「自分が間違っているかもしれない」という不安から逃げたいという欲求があるからでしょう。
ですが、そもそも生命というのは、かなり合理的なシステムです。つまり、それぞれに異なる「生きかた」をしている人間も、それぞれの環境において(できるだけ)合理的な選択をしようとしているはずなのです。
本当は、自分が正しくて、他人が間違っているなどということは、そんなに存在していません。それぞれに異なる合理性(ロジック)を持っており「それぞれに(その環境においては)正しい」というのが正解だと思います。
人間として成熟するということは、こうした無数にある合理性の背景を理解するということではないでしょうか。そして、みなが「正しくありたい」と、固定された環境の中で、苦しみもがいているのが人生であることを知るということではないでしょうか。ここに悲しさもあるわけですが。
僕たちが「刺激になった」というとき・・・それは、人生には自分とは別の生きかたがあり、それも十分に合理的であると認めることができたという、自らの成長を意味しているのだと、今は考えています(間違っているかもしれません)。
教育には、他者に対して「刺激を与える」という側面があるでしょう。
それは「正しい生きかたは、自分の選択しているこれだ」と信じていたい人間に対して、他者の合理性(ロジック)を示すことで、本人がこれと信じる「正しさ」を揺さぶることにあると思います。
その目的とするところは、優しい人間をつくるということであり、人間ではなくて、そうした人間を生み出してしまう環境のほうを憎むという態度を育むことでもあるでしょう。
なんだかよく解りませんが、そんなことを考えました。
(今日も一日、がんばりましょう!)
寝てる
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会社ホームページ(いったん)完成しました。
http://nedwlt.exblog.jp/21534559/
2014-01-23T17:50:14+09:00
2014-01-23T17:50:25+09:00
2014-01-23T17:50:25+09:00
NED-WLT
お知らせ
とにかくこの半年は、介護を行うかたわら、キャッシュを確保しつつ、組織の立ち上げに時間がとられていました(今も大変ですが・・・)。そのため、不義理にも、こうしたお問い合わせに回答することが全くできておりませんでした。
で、やっとではありますが、このたび、立ち上げている会社のホームページを公開させていただく運びとなりました。即席、突貫で作られたもので、所々お恥ずかしい点も多いのですが、まずはお問い合わせへのご回答として、ホームページへのリンクと設立趣意書(ホームページより転載)を、このブログでもご紹介させていただきます。
http://www.bolbop.com/
設立趣意書
第二次世界大戦における敗戦は、日本の歴史における最大の危機であった。それまで日本が心のよりどころとしてきた物語が内外より否定された。日本に暮らす人の多くが、住む場所を失い、食べるものもなく、着るものすらない状態に置かれた。
それからわずか数十年の期間で、日本は経済的に世界の頂点を極めるに到った。あらゆるリソースにおいて世界列強の後塵を拝した日本が、このわずかな期間で、その地位にまで到ったことは、世界から「奇跡」と呼ばれた。まず、日本の戦後を生きた人々の志と努力に、この第一の原因があったことは論を俟たない。多くのアントレプレナーと、そのリーダーシップを支えた人々の心血が、今の日本を作っている。
同時に、私たちは、この発展は決して「奇跡」ではないことも知っている。武力によっては日本から奪えないもの、すなわち、この国の歴史と文化の中にこそ、世界に誇れる日本の強さの源があるということを。
日本は、歴史と文化という、強い背骨と優れた心臓を持っていたからこそ、肉が落ち、骨だけになっても、そこから「本来の姿」にまで回復することができたのだ。こうした日本の強みの源は、武力によっては奪われないという事実は、しかし、それが消滅しないということではない。また、日本の歴史や文化の全てが優れているということでもない点には注意が必要であろう。
今の日本には、モノが溢れている。衣服や自動車など、まだ使える高価な物を廃棄し、食料を食べ残し、時間すら持て余している。この結果として、今の日本が元気を失っているというところに、私たちは注目する。日本の歴史と文化は、日本に「自分以外の誰かのために生きるときに、最大の力を発揮する」というスイッチを埋め込んできたのではないだろうか。このスイッチは、モノが溢れ、困っている人の存在が見えにくくなると、オフになってしまうのではないか。
人々の目を、周囲に溢れるモノを得たいという気持ちから、誰かのために生きたいという自分の内面に向けることが叶ったとき、つまり、消費することから生産することに向けることに成功したとき、日本はまた世界中の問題を直視し、本来の強さを取り戻せるだろう。そしてこの強さは、必ず国境を越えるものと信じている。
私たちはこのために、本社機能を日本に置きつつも、日本の歴史と文化のみならず、世界にある優れた事例を気づきの素材として活用し(Heart Lighting事業)、他者のために大きなインパクトを出したいという世界中の人々の気持ちを現実のものとし(Limit Breaking事業)、その気持ちが持続するような仕組みをグローバルに提供する(Wills Networking事業)。
私たち株式会社BOLBOPのメンバーは、この3つの事業を通して、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。
今後とも、ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い致します。
株式会社BOLBOP
代表取締役CEO
酒井穣
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謹賀新年(2014年)
http://nedwlt.exblog.jp/21372426/
2014-01-03T12:15:00+09:00
2014-01-03T12:16:18+09:00
2014-01-03T12:15:05+09:00
NED-WLT
お知らせ
オランダでの暮らしが持つ意味は非常に大きいのですが、それは、現在進めているビジネスの中に取り込むことができそうです(近日、ホームページを立ち上げるので詳細はそちらで)。いずれ、オランダでもビジネスができると思っています。
このブログを開設して、ほぼ9年という月日が流れています。昨年末より、自分の事業立ち上げのため、ブログ、メルマガ、書籍の執筆など滞っておりますが、今年からまた、しっかりとアウトプットをしていこうと思います。
積み上げるアウトプットこそが、人生を豊かにする「出会い」を生み出すための資産だと思っています。特にブログの持つ意味は、その積み上げが大きくなればなるほどに、高まるものでしょう。
さて、2013年は「コミットメントの年」として、被災地での復興支援事業を中心とした事業の立ち上げにとりかかりました。今年、2014年は「自他の境界にチャレンジする年」として、他者への「共感」からエネルギーを得て、事業を前進させる年とします。
今年も、どうぞよろしくお願い致します。
今年が、皆様にとって飛躍の年となりますように。
NED-WLT管理人
酒井 穣
新年の記憶
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●twitterもやってます:http://twitter.com/joesakai
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(ご報告)転身します。
http://nedwlt.exblog.jp/20634728/
2013-08-18T10:49:00+09:00
2013-08-18T10:58:51+09:00
2013-08-18T10:50:00+09:00
NED-WLT
お知らせ
会社法上は常勤・非常勤の違いはなく(2013年8月現在)、このような報告には法令上の義務はないものの、やはり説明責任があると判断し、ここで、その背景を公開したいと思います。
まず、僕には介護という大きな制約条件があります。ひとりっ子として生まれ育ち、長女である妻と結婚した宿命です。いずれは、だれもが直面することになる問題だとはわかっていても、なかなか対応するのが苦しい事実です。
対応しなければならない介護案件が発生し、大事なときに仕事にコミットできないケースが事実として発生しています。こうした状況から、フリービットのステークホルダーに対して、常勤取締役としての責務は果たせないと判断し、取締役会より非常勤化の承認をいただきました。
次に、僕自身の人生についてです。僕は、フリービット創業者の石田宏樹と出会って以来、彼の描くITの未来像にワクワクしてきました。今も、本当にワクワクしています。ただ、僕が石田から学んだのは、ITの未来像のみならず、社会的な問題をビジネスによって解決する起業家精神もその1つでした。自覚はなかったのですが。
そんな中、東日本大震災が起こりました。
実は、僕が27歳のときにオランダに移住するという転身を決めたきっかけも、台湾大震災(1999年9月)を台湾出張中に経験したことでした。この2つの震災は、自分もいつかは死すべき運命にあることを、強く僕に自覚させたのです。
●台湾大震災からフリービット参画まで
台湾大震災のとき、僕は台湾・新竹にあるホテルの9階で寝ていました。そして次の日の朝、明るくなってから、ホテルのすぐ近くの建物が倒壊しているのを見ました。それほど大きな地震だとは思わなかったので、ショックでした。
僕は当時、勤務していた会社の上司に「どこでもいいから、海外に駐在したい」ということを常々述べていました。しかし、いくら希望を伝えたところで、経験の浅かった当時の僕を海外駐在させるような判断は、会社として合理的なものではありませんでした。
地震で倒壊した建物をジッと見つめていた僕は、誰かから「海外で暮らしていいよ」という許可をもらうのを待っていることはできないと思ったのです。そこで僕は、自分で「つて」を見つけて転職し、台湾大震災から1年を待たずに、2000年8月にはオランダに着地していました。
フリービットとの出会いは、オランダに暮らして8年後のことでした。当時のブログ記事『『戦略の教科書』を、社員教育に利用していただいています。』が、そのときのワクワク感をよくあらわしています。
フリービットが日本で出願している特許を読んでみると、まずCEOである石田氏がほとんど全ての発明にからんでいることに気が付きます。技術の解るリーダーというのは、特に日本では貴重な存在です。マネジメントであれば後からいくらでも学ぶことが可能ですが、技術は普通そうは行きませんからね。(中略)
また、フリービットが扱うサーバーは、梅田望夫氏が『ウェブ進化論』で指摘するところの「あちら側」を支える技術です。しかし現実には、なんでもかんでも「あちら側」というわけにも行きません。そこでフリービットは、将来的に発展の見込める「家庭内ネットワーク」などのサービスを見据えつつ「あちら側」と「こちら側」のバランスをコントロールするような技術の開発にも取り組んでいるようです。これはかなり有望な感じがします。その後、このブログ記事を読んだ石田から、お礼の連絡をもらいました。それから、僕の一時帰国にあわせて、僕は石田との会食の機会を得たのでした。その場で僕は、石田の魅力にとりつかれ、帰国とフリービットへの参画を決めて「握手」をしたのです。
そういえば「握手」をした会食の席では、報酬などの話はまったくしなかったのですから、ビジネスパーソンとしては、どうかしています。それだけ、これがビジネスを超えた出会いだったのだと、今はわかります。
そうして僕は、愛するオランダの永住権を捨てて、2009年4月に帰国しました。オランダには、ほぼ9年間暮らしていたことになります。帰国直前に、僕は複数のブログ記事を書いています。その中にある『ある冬の日、クラウディアの家族とのお別れ。』という記事には、オランダ人の友達との別れを前にした当時の自分の気持ちが、ストレートに表現されていました。
どうして僕たちは、お別れしないとならないのだろう?僕たちには、自分で自分に課した「約束」があり、それを果たすためには、こうしたお別れも受け入れなければならないからです。しかし、自分の「約束」のために生きるからこそ、僕たちはお互いのことを魅力的だと感じるのであり、目を赤くさせながらも別れに納得できるのでしょう。これを「友」と言うのだと、中年になった今は解ります●フリービットでの日々とこれから
フリービットは自分との相性がとてもよく、帰国してからというもの、エキサイティングで楽しい毎日を送ることができました。なによりもやはり、フリービットでの日々こそ、僕が本物の起業家と仕事を共にした、はじめての経験でした。
東日本大震災がなければ・・・僕はこのまま、常勤の取締役は難しくても、介護が終わるまでは時間短縮勤務としてフリービットに残っていたかもしれません。
しかし東日本大震災は起こりました。この震災で僕は、自分の中にまた、どうしても機会を待っていることはできないテーマを見つけることになったのです。
僕の予測する日本の未来は(1)効率化・自動化によって、多くの人々の仕事がなくなる(2)仕事がないのに社会保障費が膨らみ可処分所得は減る(3)世界人口が100億人にせまり、希少資源となる食糧とエネルギーの価格が高騰する、というものです。
そんな日本で、子供たちが生きていくということを考えると、いたたまれない気持ちになります。石田に学んだ人間として、僕は、この未来予測が現実のものとならないようにしたいと、心から思ったのです。自分の人生を、これにかけたいと。
介護により、常勤の取締役としての仕事はできません。かつ、僕として、自分の人生をかけて実現したいことができました。
この背景から、僕は、フリービットの描く未来に対しては、人事戦略の立案など、限定的に貢献し、残りの時間は、まずは東日本大震災で傷ついた被災地に雇用を生み出すべく、起業家として、ビジネスの力で復興に関わることにしました。
被災地からはじめ、さらに疲弊していく国内地方の活性化を行い、遠くない将来、世界にも出ていきたいと考えています。
●むすび
フリービットのみなさま。僕の、みなさまとの関わりはずっと少なくなります。それでも僕は、石田を通して、フリービットに関わりつづけます。それに、フリービットには、そんなことではビクともしない一級の経営者たちがいます。そうした経営者たちに学び、自らも経営者となり、フリービットの理念と自らの夢を実現してください。
そして社外にてフリービットを支えてくださっているみなさま、どうか、フリービットを暖かく、かつ厳しく見守ってください。僕も、非常勤の取締役として、できるかぎりのことをします。しかし僕が、たとえ非常勤であってもフリービットの取締役にふさわしくないというときは、その旨、いつでも審議にかけてください。
僕には誇るべき先祖があり、僕の成功を祈ってくれる家族と友達がいます。これから僕は、そうした方々からの期待に恥じぬよう、また子孫が誇りに思う先祖の一人となれるよう、起業家として生きて行きたいと思います。
どうか皆様、これからもご指導のほど、よろしくお願い致します。
2013年8月18日
酒井 穣
ゆく河の流れ
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「伝える」という絶対。
http://nedwlt.exblog.jp/20604428/
2013-08-09T22:53:00+09:00
2013-08-09T23:18:19+09:00
2013-08-09T22:53:02+09:00
NED-WLT
時事評論のまね
しかし、生きていくことの難しいところは、そのような大切な人々との時間が、仕事や勉強の時間に奪われてしまうことです。また、たとえ仕事や勉強の時間によってではなくとも、家族や親友の数が増えてくると、その全員と、それぞれに濃密な時間を過ごすということも不可能になっていきます。
こうした、大切な人々との時間がバラバラになり、かつ、短時間化していくということは、多くの人を苦しめています。で、ここからが重要なところですが、この苦しみを解消するのは、単純に、時間配分を変更することではなさそうだ、ということです。
ある日、僕は、マグロ漁船の出港を見送る人々の中にいました。
マグロ漁船は、一度漁に出ると、1年以上もの間、出港した港に帰港することはありません。つまりマグロ漁船に乗船するということは、長期間にわたって愛する家族や親友と会うことができないということです。
僕は、マグロ漁船の出港、すなわち「お別れ」の瞬間に立ち会いました。そこで見た、今まさに運命によってバラバラにされようとしている人々の姿は、僕の予想を裏切って、決して悲壮なものには感じられなかったのです。当然、別れを悲しんでいるとは思うのですが、なんというか、とても幸せそうに見えました。
船上で準備に余念のない、力強くかっこいいお父さんたち。見送りにやってきた多くのご家族、ご友人たちの笑顔。美しく風に流されていく紙テープの束。そして、そこにいる皆を勇気づける、メガホンを通した別れのスピーチ・・・。
もちろん、仕事や勉強が忙しくて、大切な人と過ごす時間が少ないということ自体は、良いことではありません。特に、そうした大切な人々が病気や困難を前にして弱っているときは、できるかぎりの時間を、大切な人々のために割くべきでしょう。
だからといって、ただ仕事や勉強をやめて、そのような大切な人々と「常に」一緒にいる状態が理想的かというと、そうでもなさそうです。定年退職後の夫婦生活というのが、必ずしもハッピーなものばかりとはいえないあたりに、このヒントがあるように思います。
何がポイントなのかというと、それは、自分が相手のことを、とても大切に思っていることを「伝える」ということだと思います。
いかに一緒の時間を過ごしてはいても、喧嘩ばかりしていては意味がありません。お互いのことをお互いが大切に思っていることが相互に伝わらなければ、一緒にいたとしても、余計に苦しむことになります。
逆に一緒にいられる時間は短くても、相手のことを大切に思っていることを、双方が伝えられているなら、人間はそれぞれ、元気に生きていけると思います。
大切な人々との時間がバラバラになり、かつ、短時間化していくことに苦しんでいるとするなら、まずは、その苦しみ自体を、ストレートに相手に伝えるべきだと思います。
その苦しみ自体が、自分が相手のことを大切に思っているという本心を示しています。だから、お互いにその苦しみを伝えあうだけでも、苦しみそのものが減るのを実感できるはずです。
僕が、マグロ漁船の出港に見たのは、皆が、誰かを本気で愛しているという事実でした。別れに際して、人々が、お互いの苦しみに深い共感を示し合うという奇跡の瞬間です。
そんなわけで、今の僕は「あなたのことが、自分にとって、とても大切です」というメッセージを発信し、相手にそれを理解してもらうことのほうが、ただ一緒にすごす時間を長くすることよりも、ずっと重要だと考えているわけです。
(今日は早く寝ます)
ある日、気仙沼にて
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白と黒の話。
http://nedwlt.exblog.jp/20539367/
2013-07-23T21:43:00+09:00
2013-07-24T06:50:41+09:00
2013-07-23T21:42:48+09:00
NED-WLT
時事評論のまね
しかし同時に、そうした日々の仕事を「まるで意味のないこと」という具合に切り捨てようとする自分もいます。これを「黒」とします。
まず、ただひたすらに「白」で生きるような状態は、自分の人生に疑問を持たないということでもあり、きつくいえばバカです。
では、だからということで、無理やり暗い文学に浸るような「黒」だけで生きるのは、たった一度の人生がもったいないでしょう。こちらも、バカと言わざるを得ません。
だからということで、白と黒を合わせて「灰色」で生きればよいのかというと、それも違います。「灰色」であるということは、ウジウジと悩みながら仕事をするということであり、それでは仕事の成果がでるはずもありません。
成果の出ない仕事を楽しめる人間などいませんから、こうした「灰色」はいずれ「黒」に近づいていくでしょう。これまたバカというわけです。
思想家の浅田彰は、26歳のときの著作で、次のように述べています。
対象と深くかかわり全面的に没入すると同時に、対象を容赦なく突き放し切って捨てること。同化と異化のこの鋭い緊張こそ、真に知と呼ぶに値するすぐれてクリティカルな体験の境地であることは、いまさら言うまでもない。簡単に言ってしまえば、シラケつつノリ、ノリつつシラケること、これである。
浅田彰『構造と力』p.6より
まず僕たちは、仕事であれ勉強であれ、目の前にあるものごとに全面的に没入する必要があります。つまり「白(ノリ)」であることを否定して、生きていくことはできないわけです。しっかりやることから逃げて、人生はないということです。
しかし同時に、僕たちはそうした自らを否定できるだけの「黒(シラケ)」を抱えていなければ、それはロボットの人生であり、人間として成長していくことはできないように思います。
浅田彰は、このように、白と黒を混ぜることなく合わせ持ち、その緊張の中にあることを「知」と呼んだのです。なんと優れた洞察でしょう。
僕は最近、この洞察に、ちょっとした追加をしています。それは、このような白黒は、より高次の白黒を得ることでしか解消できないということです。
センスや運、一夜漬けで勝利を手にしてきた人間は勝負弱い。僕はこれまで頭の回転が速く、要領が良く、勢いに乗っていると思われる人間と何度も戦ってきたが、ただの一度も負ける気はしなかった。それはなぜか。彼らと僕とでは迷ってきた量が圧倒的に違うからだ。
梅原大吾『勝ち続ける意志力』p.59より
学校は楽しい(白)という気持ちと、学校なんて行きたくない(黒)という気持ちは、どちらも真実でしょう。ですから、学校は通うに値するかということについて白黒をつけてしまうことは「知」とは言えません。
しかし僕たちは学校を卒業し、あらたに、仕事をしっかりこなそう(白)という気持ちと、こんな仕事はつまらない(黒)という気持ちの緊張を得ることになります。このとき、学校は通うに値するかという緊張が終わっていることが面白いです。
仕事のスケールが大きくなって行くにつれて、過去の低次元な緊張はどうでもよくなります。より解消の難しい白黒の緊張が得られるからです。
自分がお茶をだすべきか、そんな仕事は自分の仕事ではないとつっぱねるべきか。売れなくてもやるべきか、売れないから止めるべきか。従業員に高い給与を出すべきか、人件費を抑えて利益を確保すべきか。自社の利益を優先させるべきか、困っている人々を助けるべきか。
白黒のはざまで緊張を感じながら生きること、そして緊張そのものをより高次なものとしていくことが、人間として成長していくということなのではないでしょうか。
これと同じことを表現した言葉に「清濁併せ呑む(せいだくあわせのむ)」というものがあります。これは、清濁を「混ぜて」飲むという意味ではありません。本来は、清流も濁流も、どちらも受け止める海のありかたを表現した言葉です。
人間のすごさは、清濁併せ呑む海のように、白黒の矛盾をそのままに受け止めることができることです。白と黒をそれぞれ丁寧に掘り下げて、その緊張に眉を曇らせる姿こそ、人間なのです。
一切の決断をするなということではありません。ただ言いたいのは、安易に白黒の決着をつけたくなるとき(緊張から逃げたくなるとき)こそ、僕たちは「知」とはなにか思い出してみるべきだということです。
(原稿も書いていますよっ!)
パパの料理、会心の一撃!
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差別化にとって、いちばん大切なこと。
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2013-06-29T09:44:00+09:00
2013-07-01T13:37:10+09:00
2013-06-29T09:43:48+09:00
NED-WLT
ちょっぴり経営学
個人のキャリア開発においても、企業経営においても「差別化(differentiation)」は最重要の概念です。「差別化」の目的は、手ごわい競合が多数ひしめく世界において「競争優位(competitive advantage)」を獲得することです。
●どうして「差別化」が重要なのか
シンプルに言い切れば「差別化」されていない「似たようなもの(平均的なもの)」は運命的に「供給過多」になるからです。「供給過多であるということは、相対的に少なくなる「需要」をめぐって血で血を洗うような、勝ち目のない競争に陥るというだけではありません。
「供給過多」とはいえ、そこには、その規模の供給が求められる市場があります。そうした大きな市場は、イノベーターにとっては新規参入の格好のターゲットです。デジカメが、スマホの写真アプリに破壊されつつある(注1)ように「供給過多」となっている市場は、そもそも異分野からの参入を呼び込みやすいわけです。
●どうして優れた「差別化」は実現されないのか
誰もが「差別化」の重要性を理解していながら、それがなかなか実現されない理由については、ヤンミ・ムンによる『Different: Escaping the Competitive Herd』(邦題:『ビジネスで一番、大切なこと 消費者のこころを学ぶ授業』)によって秀逸な考察が示されています。以下、その流れを簡単に要約します。
(ステップ1)ある企業が、顧客に対して優れた価値提案を行う(ステップ2)顧客が喜び、その企業の業績が上がる(ステップ3)競合がそれをコピーする(ステップ4)優れていた価値が、その業界の標準になる(ステップ5)顧客の価値判断基準が高まり、顧客の目が厳しくなる(ステップ6)ステップ1に戻る・・・。
このステップを繰り返すと(ステップ1)を実現する余地が時間とともにどんどん少なくなっていきます。いずれは顧客から見て取るに足らない小さな差異を、差異としてなんとか強調するという「むなしい争い」に落ち込んでしまいます。
しかし、心理学者ウィリアム・ジェームスがいうとおり「差異を生まない差異は差異ではない」わけです(注2)。ビジネスの文脈に翻訳すれば「(企業の業績に)差異を生まない(顧客から見て取るに足らない)差異は(実務的には)差異ではない」ということ、ゆめゆめ忘れるべきではないでしょう。
●どうして競争から完全に脱却するような「差別化」は難しいのか
これまでの話をグラフで表現すると、以下のようになるでしょう。平均的な商品と比較して、差別化の度合いが高まれば、顧客からみた価値が高まります。しかし、平均的な商品から距離を取ればよいかというと、そうでもありません。行きすぎると、商品が顧客に理解されないことになり、まったく無価値の世界に落ち込んでしまいます。
この境界は、別の表現では「死の谷(valley of death)」として知られています(注3)。これをグラフで表現すると以下のようになるでしょう。これが、競争からの完全なる脱却になるような「差別化」が危険であり、難しい理由です。
実はこのモデルは、僕たちが「本物とニセモノ(真贋)」という文脈で、非常によく馴染んでいるものでもあります。ブランド品や骨董品はもちろん、人物評価や新興のベンチャー企業の評価においても、このモデルが人間の脳内で稼働していると思います。
レアな本物を見分ける力は、その道の専門家として認知される大切な条件です。それを見分ける力があればこそ「本物」を誰よりも先に「掘り出し物」としてゲットできるわけです。そこには「違いがわかる人」としての尊敬も集まります。「目利き」であるだけで、食べて行けるわけです。
●破壊的イノベーションの発生メカニズム
しかし、まれに、死の谷の向こう側に「破壊的イノベーション(disruptive innovation)」が生まれることがあります。ウォークマン、Google、初代iPod、iPhoneなどがそれに相当するでしょう。こうした破壊的イノベーションは、まず、それが生まれた直後には顧客に理解されません。以下みたいな感じです。
「破壊的イノベーション」も「目利き」に見つけてもらえなければ、ただの「ニセモノ」です。実際に、見つけてもらえなかったがために、歴史に埋もれてしまった「破壊的イノベーション」は、恐ろしい数になるはずです。
しかし「目利き」がそれを見出し、その「目利き」に頼る人々がその商品を認知した時点で、市場は変わります。一部にはまだ、その「破壊的イノベーション」に懐疑的だったり、その存在自体を認知しない人々もいるため、この時点では、市場は割れます。割れはしますが、しかし、古い市場において、過去最高値を付けていた商品の値崩れが起こるはずです。
これが進むと、市場は「死の谷」の位置を変えてきます。別の言葉でいうなら、顧客に対する「破壊的イノベーション」の価値教育が終わるということです。そして「破壊的イノベーション」を起こした企業は、イノベーターとして市場から尊敬を集め、強いブランディングが確立されます。
この段階になると、過去最高値で取引されていた商品は、行き場を失い、同じコスト構造ではその商品を流通させることができなくなり、市場から消えていきます。
最後に「破壊的イノベーション」の鮮度が失われ、平均的な商品の位置が変わります。こうなると、過去には画期的と思われたものもその輝きを失い、ただの高級な商品になり下がります。それでもしばらくは、確立されたブランディングによって、競争を優位に闘える状態が続きます。
しかしその後は、先に紹介したヤンミ・ムンによるステップを踏んでいく無限ループに入ることになるでしょう。平均的な商品が、高級な商品を「模倣」し、業界そのものが、むなしくも差異とは言えない差異を強調しながら、縮退していくことになります。このサインは、以下のグラフのように、高級な商品の値崩れとして観察することができるはずです。
典型的にはデジカメ業界がまさにこのプロセスにありますが、僕の見立てでは、スマホ業界もiPhoneの登場以降すでにこのプロセスに入っており、数年以内には、Google Glassに代表されるようなメガネ型携帯端末の登場に脅かされる可能性があります。まさに電脳コイルの世界ですね。
●重要なのは「破壊的イノベーション」ではなくて「目利き」
ここまでの話を総括すると(1)「差別化」しないと滅びる(2)しかし「死の谷」の内側ではブランディングに寄与するほどのインパクトは起こせない(3)だから「破壊的イノベーション」が求められる(4)「破壊的イノベーション」を普及させるのは「目利き」である(5)「破壊的イノベーション」ですら延命の手段にすぎない、ということです。
この総括において、唯一、負のスパイラルから独立していて自由なのが「目利き」です。そうした「目利き」があればこそ、競合の平均値から遠く離れたところに、新たな「本物」を生み出すことができるのです。では「目利き」とはいったい、どのような人々なのでしょうか。
この分野には、日本語で「普及学(Diffusion of innovations)」とも呼ばれる研究分野が存在し、特に、社会学者エベレット・M・ロジャーズ教授(スタンフォード大)が提唱した「ロジャーズの普及理論」が有名です(注4)。
普及学によると「目利き」に相当する「初期少数採用者(Opinion Leader)」は、他者にその商品が優れていることを主観的に伝える発信力と影響力をあわせもった人々です。彼らの力によって普及率が市場の16%を超えると、シェアは急速に拡大すると言われています。
●では「目利き」とは誰のことか
すでにお気づきだとは思いますが、こうした特徴を持った「目利き」とは、現代的な言葉では「キュレーター」のことです。
「キュレーター」とは『キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる』著者の佐々木俊尚氏の表現を借りれば「無数の情報の海の中から、自分の価値観や世界観に基づいて情報を拾い上げ、そこに新たな意味を与え、そして多くの人と共有する人」のことです。
過去、こうした人々は「ディレッタント(dilettante)」と呼ばれたことがあります。「ディレッタント」とは本来、学問を愛している素人のことです。意地悪な言い方をすれば、自らの専門性の無さに強いコンプレックスを感じ、それを埋め合わせるように情報を収集し、学問の成果を「知っている」ことに安堵するような存在でした。
しかし、現代の「ディレッタント」には、発信する情報によって影響力を確保し、埋もれようとしている「破壊的イノベーション」に火を灯すという社会的な役割が与えられています。商材でも人材でも、出過ぎた杭は「目利き」に発見されなければ、打たれるものなのです。
●まとめ
長々と書いてきましたが、成熟した競争社会における「差別化」には、生きるか死ぬかという重大な意味があります。それを自覚するビジネスパーソンは多いと思いますが「死の谷」の内側にいるかぎりブランドは確立されません。
実は、この記事のトップに挿入したイラストには、大切な秘密があります。それは「差別化」を無視して集団を形成しているの男女(左側)はイケメンとかキレイ系のお姉さんなのですが、優れた「差別化」に成功している男性(右側)は、あまりイケていないということです。これは優れた「差別化」に必要なのは高いスペックではないという事実を突き付けています。優れた「差別化」には、まず、平均的な集団から距離を取ることが求められるのであって、競合よりもスペックで優れていることは(それほど)重要ではないということです。
そして距離を取っただけでは、市場からは「ニセモノ」と判断されてしまいます。そこで「目利き」に商材を見つけてもらい、その普及を助けてもらえてはじめて「ニセモノ」は「破壊的イノベーション」として認知されるのです。
とはいえ「破壊的イノベーション」と言えども、現代社会においては、その寿命は決して長くなさそうです。それを何度でも生み出せるようになるために開発・開拓すべきリソースとは「目利き」なのだと思います。蛇足ですが、ジョブズのすごさは、彼がイノベーターであり、かつ「目利き」であるという2面性を同時に持っていたことなのではないでしょうか。
(これから、お仕事です!)
(注1)例えば野村総合研究所『これからICT・メディア市場で何が起こるのか』におけるp40などを参照ください。
(注2)人事の世界では避けて通れない名著『コンピテンシー・マネジメントの展開(完訳版)』からの孫引き(p17)です。
(注3)「キャズム理論」として知られている概念です。ジェフリー・ムーアによる著作『キャズム』にまとめられており、マーケティングの世界では必読書の一つとして広く知られています。
(注4)エベレット・ロジャーズ『イノベーションの普及』か、軽めの読み物としては、マルコム・グラッドウェル『急に売れ始めるにはワケがある ネットワーク理論が明らかにする口コミの法則』がオススメです。
■ 新刊が発売となります!
新刊は『ビジネスでいちばん大事な「心理学の教養」』という本です。ビジネスにおいて特に知っておくべき心理学のキーワードを、マーケティングや人事など、関連する実務の分野にひもづけて整理してみました。自分用にメモとして長いこと管理してきたものだったりします。よろしければ書店などで手に取ってみてください。
(ではでは)
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ワールドカップに「一線を越える」ことの意味を見る
http://nedwlt.exblog.jp/20322203/
2013-06-04T21:45:00+09:00
2013-06-04T23:35:59+09:00
2013-06-04T21:45:20+09:00
NED-WLT
時事評論のまね
これ、ちょっと不思議です。
今の日本代表チームの実力が、昔よりも高まっているというのはあるでしょう。しかし、日本のワールドカップの初出場は1998年と、まだ15年前のことにすぎません。しかも1998年のワールドカップでは、日本はグループHで3連敗し、勝ち点ゼロでした。
15年間で急速に成長したわけです。で、僕は、この成長の背景にあるのはサッカーのテクニック向上だけではないと思っています。もちろんテクニック向上があったことは確実であり、選手たちの恐ろしいまでの努力があることは当然です。しかし、もう一つ重要なことがあると思うのです。
それは「一線を越える」という体験です。
「1998年にワールドカップに行けた」という事実は、日本のサッカー選手たちに、日本のレベルはワールドクラスであることを自覚させたはずです。色々と改善点はあるものの、日本のやり方が世界に通用するということが証明されたことは、非常に大きかったのではないかと思います。
「乗れなかった自転車に乗れるようになったようなもの」と言えば伝わりやすいでしょうか。あるいは「過去に一人も東大合格者を出していない高校」と「たった一人であっても東大合格者を出したことのある高校」との間には、大きな差があるというほうが良いかもしれません。
こうした差を生んでいるのは「努力が報われたという事実のあるなし」であり、それは「一線を越える」ということです。より正確には、自己効力感(self-efficacy)を形成するための達成体験があるかどうかです。
奇跡というものは、実際にそれを起こしてみれば「こんなものか」と感じられるものです。そして一度それを起こした人は、以降、同じ程度の奇跡であれば何度でも起こせるようになるのだと思います。
人間の非連続な成長には「努力によって、奇跡を起こす体験」が必要であり、僕たちはそれを、こうして4年に一度のワールドカップ予選で思い出すことができます。そして今の日本人が期待している、日本サッカーの次なる奇跡とは・・・
(本戦、期待しています!)
日本の奇跡
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