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スーツを1着もお持ちで無いという小飼弾氏(以下失礼して、弾さん)より、拙著『はじめての課長の教科書』の出版を記念して、先日アップした「課長はスーツを着るべき?」に対して、「課長が着るべきなのは「戦闘服」」という、すばらしい反論を頂戴しました。もはやウェブ界における知の巨人たる弾さんからの反論に、限られた時間できちんと対応できるか大いに不安ではありますが、とにかくやってみます。
まず、議論を始める前に強調しておきたいのは、本件は以下のような状況で「果たして自分はスーツを着るべきか否か」について「迷っている」人への提言でした。ですから、経営者からしてスーツを着ていないようなIT系ベンチャーや、社員全員がスーツを着ているような商社などのケースは、この議論からは除外されます。ちなみに僕自身の服装は、投資家と会うときや、どこかに呼ばれて話すような時は決まってスーツで、それ以外の時はジーンズにトレーナーです。 公式、非公式にドレスコードが定まっている職場の場合は悩む事の無い問題ですが、最近では経営者クラスはスーツ(しっかりとした服装)でも、末端社員クラスにはラフな服装が容認されている企業が増えつつあるようで、丁度中間の課長クラスぐらいの人が、「果たして自分はスーツを着るべき(しっかりとした服装であるべき)か否か」に関して悩んでいるケースが意外とあるようです。とりあえず、頂戴した弾さんの反論の肝となっているのは、大きく以下の3点と把握しました。 1.スーツは(スーツを着ていない)現場社員との心理的な距離を作ってしまう もし「兵隊」たる平社員がスーツを着てなくて、課長のみがスーツを着ていたら、士気は高まるだろうか?課長にとって、もっとも避けねばならない事態の一つは、「あいつは(所詮)『あちら側の人間』だ」と思われることである。それでは部下は付いてこない。部下が現場で汗まみれになっている時に、スーツを気にするような課長は最低である。2.スーツは現場で働くための服として考えた場合、機能的に最低である スーツの一番の問題、それは服というのは状況にあわせて変わるべきものであるのに、スーツが状況の方を服にあわせることを少なからず強いていることだ。たかが服の分際でおこがましいことこの上ない。3.スーツは心理的にも負の遺産であり、我々はそれを捨て去る必要がある スーツというのは過去の栄光にあぐらをかいた、いいところなしの植民地時代の負の遺産でしかない。その元植民地のエリートたちがせっせとスーツを着こなして、元宗主国の市民たちがスーツの耐えられない軽さに気がついて「まともな」格好になっているのは、滑稽としか言いようがない。それぞれが非常に鋭い指摘であり、深く納得させられるのと同時に、どれにも「服装に迷っている課長」という生々しい立場からは反論がつけられそうです。まずは、メタ(高次)な論点の整理から入り、それから個々のポイントについて僕なりの反論を試みます。 ■ メタな整理 経営者がスーツで、末端社員がラフな格好。そして課長クラスの服装に明確なドレスコードの無い会社というのは、今まさに時代の変化にさらされている会社でしょう。中長期的に見れば、こうした会社では、スーツは「徐々に」廃れて行くはずです。いや、もしかしたら世界中の社会からスーツは徐々に消えて行く運命にあるのかもしれません。しかし、「外敵からの侵略によらず、自ら衰退して行く国家というのは、死ぬまでに意外と時間がかかる」というように、ビジネスマンの服装としてのスーツの完全な死までは、少なくともあと100年ぐらいは楽にかかるのではないでしょうか。 課長として、そうした「ゆっくりと自然死を迎えつつあるスーツ」を、消極的に支持する(とりあえず無難にスーツを着ておく)ことは簡単です。逆に「スーツの死」の速度を速めようとする活動は、現在もスーツを着ている経営陣の価値観に「わかりやすい反旗」を翻すことですから、リスキーです。論点は、このリスクに見合うだけのリワードが、スーツを否定することで得られるのか、ということだと思います。アザラシがいるかもしれない海に、いの一番に氷壁からダイブするペンギンが得られるメリットは何かということです。 では以下、弾さんの反論に、一つ一つ僕の反論を付けて行きます。 1.スーツは(スーツを着ていない)現場社員との心理的な距離を作ってしまうか? 逆にスーツを着ない課長は、経営側から『あちら側のヒヨッコ』だと思われてしまいます。課長としては、旧世代的な価値観を持った経営側に一目置かれることによって、多めの予算や面白そうなプロジェクトを自分の課に割り当ててもらえます。それによって、部下にも多めの賞与や昇進の機会を与えることができるようになります。部下に出来る限り多くのチャンスを与えてやるためには、課長はそれが「道化役」に思えたとしても、政治的な道化であることを喜んで引き受けるべきではないでしょうか。 もちろん、スーツを着た「だけ」では、いくら古い価値観を持っているとはいえ、経営側から一目置かれたりはしません。しかし同時に、こうした一般には「くだらない」と思われるような人の印象を操作する活動というのは、その効果が過小評価されることが多いというのは、先のエントリでまとめた通りです。広告にお姉さんが笑っている写真が付いているだけで、高めの貸し出し金利を引き受ける人が現実にたくさんいるのです。 さらに僕の意見では、課長は外見(スーツ)では経営側でも、本心は常に現場の部下たちの味方であり、普段は「スーツ、汚れちゃいますよ」とか言われながらも現場の部下と深く心理的につながっているものであり、きちんと現場に降りてくる課長であれば、部下たちもスーツを「必要悪(=課長の戦闘服)」として認識してくれるのではないでしょうか。もちろん、このためには、部下にも課長の仕事のなんたるかを把握してもらう必要があるでしょう。 2.スーツは現場で働くための服として考えた場合、機能的に最低であるか? ハイヒールはどうでしょうか?健康に悪影響を及ぼし、自動車の運転も出来ないようなハイヒールは、同じロジックでは「機能的には最低」となりそうです。しかし我々男性は、それが別の意味では最低ではないことを知っています。向こう100年ぐらいはハイヒール、あるでしょう。 平均で19ペアもの靴を持つという世の女性たちは、ハイヒールに外向きの性的なアピールの意味を超えた、より内向きで精神的な意味を見出しているはずです。同様に、お化粧だって、ビジネスにおける機能という面では必要ないでしょう。しかし女性が化粧をするのは、普通は男性のためではありませんよね。 この議論からは、カチッとした服やしっかりとした身だしなみの持っている、「内向きな機能」が抜け落ちてしまっているのではないでしょうか。要するにコスプレと同じで、化けることで、臨戦態勢まで効率的に気持ちが励起されるのでしょう。その意味では、これはスーツのような「制服」の持つ心理的な触媒機能とも言えそうです。 それと、スーツを着ているとカッコイイのに、私服になると幻滅されてしまうような人って、意外と多いですよね。悩まずとも、印象を楽々底上げしてくれるスーツというのは、この意味では効率的と言えるのではないでしょうか。今スーツを着ていて、これが突然、完全に私服ということになったら、コーディネートに困る人は少なくないはずです。 スーツ、確かに高温多湿ではダメですけど、砂漠のように高温で乾燥した地域では十分に機能的であるというのは『MASTERキートン』(第一巻135ページ)に出てくる通りで、これは『SASサバイバルハンドブック』(第3章 地域別のサバイバル / 乾燥地帯のサバイバル)でもサポートされている意見です。これからは地球温暖化の影響で、水不足による砂漠化が起こる地域が増えるようですから、意外と数十年後には、またスーツのブームがあるかもしれません(笑)。 3.スーツは心理的にも負の遺産であり、我々はそれを捨て去る必要があるか? 確かにスーツは、負の遺産の1つかもしれません。しかし、日本の社会に残っている「戦って葬るべき負の遺産」の中では、相当下位にあるターゲットではないでしょうか。あえて、スーツとネクタイによって、旧来の価値を大切にするようなフリをしつつ、目に見えないプロセス面などでガリガリと改革を進めるようなリアリストこそが、実際に保守的な日本で物事を変化させることに成功するのではないかと思うのです。どこまでも「健気さ」を演出し、心理的にも深く権力者の内側に入り込むこと無しに、旧世代の人間をリアルな変革に向かわせることは不可能に思えるのですが、どうでしょう。 そういう意味では、僕の反論は以下の質問でまとめることができると思うのです。 「負の遺産であるスーツは、もう使えないのか?」 真に変化を求めるのであれば、そのためのアクションは、守旧派には変化とは感じられないようにデコレートしてやることがどうしても必要なのではないか。目的のために、守旧派の価値観までをも変えるのはとても個人では不可能だし、そもそも求める変化を得るのに、守旧派の価値観を破壊する必要はないのではないか、というのが僕の立場です。 追伸: 先のエントリで、僕がアップルコンピュータの躍進の原因を、あたかもデザインの差異のみであるかのように言及したのは、明らかに軽率でした。この点は、完全に僕の間違いであって、反論のしようがありません。 (今晩が金曜日でよかった・・・) 今の気分 「本を、書きました。」 2008-01-31 カテゴリ: 『課長の教科書』
by NED-WLT
| 2008-02-09 10:00
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