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本を書きました。
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新春ということで、無理をして大上段なテーマを取り上げてみました。短時間で仕上げた書き散らかしなので、乱筆、ご容赦ください。
何故、勇気が問題なのか 人間は、ずっと昔から「勇気」に価値があるとしてきました。語り継がれてきた多くの物語は勇気あるヒーローをテーマにした話であり、ヒーローを称えています。おそらくは勇気に価値を置くというのは、人間という存在にとって根源的なことなのだと思われます。 そこには戦って勝ち取るべき「善」なるものが「ある」という確信があります。人生は生きるに値するかという問いは、現実にどのように生きるかという「決断」でしか答えることができないものです。だから人は、他人の勇気ある決断を見知るとき、人間という存在のすばらしさを確認し、そこから生きる力を譲り受けるのだと思います。 ある意味で勇気とは、人間による「虚無」との長い戦いの結果生まれた武器なわけです。勇気を称え、自らもそうした勇気ある行動をとるということは、人間賛歌という意味があるのでしょう。 背後に死への恐怖があること 「神は死なないので、神は勇気を知らない」という言い方があります。死というのは少し大げさかもしれませんが、とにかく行為に伴うリスクを正しく把握して、それに「恐怖する」という前提が無いところに勇気もないでしょう。 そもそも死に恐怖を感じるということは、それだけで消極的にではあっても生に意味を見出しているということでもあります。ですから自暴自棄になった状態での無謀な決断や、恐れを知らない人による向こう見ずな行為を持ってして勇気とは言いません。かみしめられた恐怖の大きさと比例して、それを乗り越えるときの勇気と、その報酬として守られる「善」の価値も大きくなるのだと思います。 自分のため(だけ)の行為でないこと いかに大きな恐怖を乗り越えたとはいえ、それが自分の保身や逃避(注1)、富や名声のため(だけ)である限りは、その行為を持ってして勇気のある行為だとは言わないでしょう。また「義を見てせざるは勇なきなり」ということで、一見すると社会的な正義のためのような行為でも、実際には100%自分のためであるようなケースも少なくないと思われます。 例えば、高らかに正義をとなえつつなされる行為というのは、勇気ではなくてむしろ「自らが十分に世間から認められていない」という不遇感やルサンチマン(嫉妬や願望に基づく怨恨)を埋め合わせたいという欲求が背後にあることが多く、仮に行為がリスキーでも、そこに解り易い正義を人前で振りかざすような態度が付随する場合には、やはり勇気を疑う必要があるでしょう(注2)。 勇気の危険性 勇気ある行為によってなされることが、必ずしも正しいことではないというのは、多くの戦争が、双方「自らの正しさ」を確信しつつ行われることからも明らかだと思われます。現実に、多くの勇気をめぐる物語が戦争をモチーフにしているという点も無視することはできません。 戦争では、自分の信じる国家や社会といった「全体」のために、自らの命を投げ出す覚悟をする必要があるために、そこに勇気の連鎖が生まれやすいのだと思います。国家が戦争に向かうときに得られる高揚感というのは、そこに勇気が集結する感動があるからではないでしょうか。とはいえ、勇気を見たいがために、映画ではなくて現実の戦争に向かうことは、言うまでもなく愚かなことです。 今の日本に足りないのは、勇気ではないのか? 皆が自らの保身ばかりを考え、結果として変われない社会は、要するに勇気がないのですから、そこでは人として生きることへの意味が失われ、人々に元気がなくて当然だと思います。 リーダーシップに求められる利他性やカリスマというのは、その根源に勇気があるのだという当たり前のことを、少なからぬ日本のリーダーたちは忘れているのではないでしょうか。 議論の正しさや踏むべき手順などももちろん重要なのですが、我々は「勇気」という視点を、今こそ人物や物事を評価するときの中心軸として取り戻さなければならないと思うのです。 "What are we holding on to, Sam?" (おしまい) (注1)この意味で、現世に絶望したり、虚無に支配された結果としての自殺は、勇気ある行為ではありません。ただし自殺的な行為にも『赤穂浪士』に見られるような利他的な目的がある場合には、そこに勇気が認められると思います。 (注2)例えば電車で老人や妊婦に席を譲ろうとするときに感じてしまう「恥ずかしさ」というのは、それを全く意図していなくとも、その行為に「席を譲らなかった人々に対する無言の非難」と「高らかなる正義」が現れてしまうからではないでしょうか。逆にこうした「自らのルサンチマンをさらけ出す恥ずかしさ」を超えてまで席を譲るという行為には、ある意味で大人の勇気があると言えるでしょう。 「家庭の発見、その障害となるもの」 2005-11-25 「収益の質 (Quality of earnings)」 2006-02-04 「定年延長(今は)反対。」 2007-01-05
by NED-WLT
| 2008-01-04 02:14
| 時事評論のまね
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