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1853年、浦賀沖に来航したペリーの黒船に肝をつぶした幕府は、勝海舟の提言を受け入れ、長崎に海軍伝習所を創設し、その練習艦としてオランダに軍艦2隻を発注した。1855年、先に届いた1隻(観光丸)はオランダ領インドネシアにあった中古船であったが、後1857年8月に届いたもう1隻は日本のために、現在では風車で有名なオランダのキンデルダイクで新たに造船されたものである。
この船のオランダ名は「ヤパン号(Japan)」と言った。日本では、江戸幕府の船として初めて太平洋を往復した蒸気船「咸臨丸(かんりんまる)」として現在でも広く知られている。咸臨丸は実際、勝海舟や福沢諭吉ら、その後の日本を決定付けるような第一級の人物を多く乗せている。 さて、咸臨丸がヤパン号としてオランダから長崎に届けられるとき、この船は派遣教官団として37名の外国人を連れてきている。この中にいたのが、当時まだユトレヒト陸軍軍医学校を卒業したばかりの28歳の若者であった、ポンペ・ファン・メールデルフォールト(Pompe van Meerdervoort)である。ポンペは「近代西洋医学教育の父」と呼ばれるほどに、日本にとっては重要な人物である。 ポンペの講義録は『朋百医学七科書』(「朋百」はポンペの当て字)として合計45冊もの本にまとめられ、当時医学を学ぶものは競ってこれを読んだという。後に初代軍医総監として日本の西洋医学発展に大きな影響を与えた松本良順(司馬遼太郎『胡蝶の夢』の主人公)も、このポンペの弟子の一人である。日本初の死体解剖実習を行ったのもポンペであった。 ポンペは教鞭を取るばかりでなく、実際に多くの患者を診療し、当時日本で猛威を振るったコレラとも最前線の医療現場で戦ったことでも知られている。彼は1862年11月にオランダに帰国するまでの5年間に、実に15,000人もの日本人の診療を行ったそうだ。 彼が長崎奉行所で講義を始めた日、1857年11月12日は、今では長崎大学医学部の創立記念日となっている。その長崎大学医学部には、ポンペが学生に語った「ポンペの言葉」が医学部建学の精神として残されている。 医師は自らの天職をよく承知していなければならぬ。ひとたびこの職務を選んだ以上、もはや医師は自分自身のものではなく、病める人のものである。もしそれを好まぬなら、他の職業を選ぶがよい。ポンペの弟子の中に、荒瀬幾造という人物が居た。司馬遼太郎の『この国のかたち〈2〉』によると、荒瀬はポンペへの感謝を込めて、自宅の庭にポンペ神社を造ったのだと言う。その彼の孫に当たる荒瀬進博士(戦前の京城帝大医学部助教授)はポンペの幕末日本見聞録を『ポンペ日本滞在見聞記』(新異国叢書)として翻訳しているが、僕はまだこの本を入手できていない。いつか必ず入手したいと思っている。
by NED-WLT
| 2007-04-07 05:19
| 日蘭交差点
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