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日本一落雷の多い都市、金沢。明治維新後のそんな金沢で西洋医学の教鞭を取っていたオランダ人医師ホルトマンの名は、現在ではあまり知られていない。ホルトマンは1875年に現在の金沢大学薬学部に来任している。今でも金沢大学の医学部記念館資料室には、彼の講義録等が大切に残されているそうだ。
彼はオランダ人らしい好奇心に溢れた人物であったようで、来任から3年後の1878年には「金沢」という地名の由来ともなった日本庭園、兼六園内の名水の成分分析なども行っている。曰く「軽量の鉄を含み、貧血及び心臓の衰弱せる人に効果がある」という。 さて、ホルトマンは医師として日本人の指導に当たった功績以外にも見逃せない貢献がある。彼は、現在のJR金沢駅に程近いところにある尾山神社の神門建立(1875年)に当たって「避雷針」の設置を助言したと伝えられているのだ。そしてこのときの避雷針が、どうやら日本最古の避雷針であると言われている。 ところで避雷針は、凧を用いた実験によって雷が電気であることを証明したベンジャミン・フランクリンが1752年に発明したものだ。避雷針の発明から、それが日本に伝わるまでに要した時間が120年以上なのだから驚く。日本の鎖国には功罪どちらもあると思うが、避雷針があれば失われずに済んだ命があったと思うと、情報を遮断することの罪ばかりがつい思われてしまう。また日本の伝統的な建築の多くが木造であり火事に弱いことを思えば、避雷針によって救えた日本の美も数知れないだろう。 ちなみにホルトマンの避雷針がある神門は、日本の職人が西洋建築を模してデザインしたもの、いわゆる擬洋風建築で、現在では国の重要文化財に指定されている。およそ神社には似つかわしいデザインではなく、建設当時の評判も良くなかったそうだが、京都南禅寺の水路閣と同様に、周囲とのアンバランスさによってむしろ異国情緒が良い方向に強調されている好例だと思う。写真で見ると良く解るが、この神門デザインにおいては、門の最上部にあって天を突くような避雷針の存在感が重要な役割を果たしている。 ホルトマンが金沢大学薬学部に着任し、また避雷針の設置を助言をしたのが1875年。明治政府によって強制力のある廃刀令が発せられたのがその翌年の1876年。西郷隆盛が擁立された西南戦争が起こるのかさらに翌年の1877年。そしてホルトマンが兼六園で名水の成分分析をしたのが1878年。ホルトマンは自由民権運動の機運高まる激動の日本をどう観察していたのだろうか。僕の中では、明治時代、雷の多い金沢の地で、雷の轟音に怯えつつ医師のタマゴを指導したり、水質調査をしたりしつつ、日本の大きな変化を肌で感じ取っていたであろうホルトマンの姿が、尾山神社神門の避雷針のイメージと不思議と重なる。
by NED-WLT
| 2007-03-30 05:50
| 日蘭交差点
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