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超メジャーブログ、「ふぉーりん・あとにーの憂鬱」に、ブログ上で展開される意見交換、論争に関する興味深いエントリ「異種格闘技戦の文法」がアップされました。それを受けて、自分の感じたことを以下、先生のエントリを引用しつつ、記事にしてみることにします。
まず、本論とは直接関係の無いことですが、僕自身はこれまで、ブログに関しては「ブログとは何だろうか-1、2、3」と、自分なりにまとめたことがあります。エントリの内容に独自性はなく、実に貧弱なものですが、これらのエントリに頂戴したコメントはどれも示唆に富むものでした。今回のエントリ「ブログは境界線を否定するか」は、その4という位置づけになります。 まず論の初めに、今回の僕のエントリでテーマになっている「専門家」とは、多くの権威によって歴史的に構築されてきた、特定分野におけるコミュニティのメンバーであるとします。特定分野のコミュニティにおいて、天才的な先人達によって、ロジカルに積み上げられてきた議論というのは、専門家にとっては揺るぎの無いもの、意地悪く言えば、心地の良い安全地帯であるわけです。さて、ある専門性を持った人が、自分の専門分野に関する内容をブログに書く時感じることは、 書き手の素人/玄人分布もさることながら、受け手の素人/玄人分布もものすごいばらけているわけで、そういう意味で、例えば法律専門誌に論文や記事を書いたり、最初から興味のある人しか手にとらないであろう本を書いたりということとは違うということです。そのため、こうした場合は、やはり専門的な前提知識の無い人に配慮した文章を書くということも少なくないと思います。これは、素人(アマチュア)にとっては良いことのように感じられます。しかし、やはりある専門の世界(コミュニティ)で先人の知恵を多く学んだ人間にとっては、 既存のコミュニティの文法の下では決着がついていなければいけないはずの議論が生き残っているのを見ると、最初は途惑い、次にその相手に腹が立ち、最後は、その文法を理解していないギャラリーに腹が立ってきてしまうという段階を辿るということがあります。こうした状況を多く体験すると、先生のおっしゃるとおり、専門的なコミュニティに属する専門家とアマチュアにおけるブログ上の言論の断絶は深まっていくしかない、という悲しい方向性を予感せずにはいられないと思います。しかし、 ブログの世界になると、リアルな世界でのアカデミック・コミュニティからの制裁を回避しながら発言する人や、そもそもリアルでもそのアカデミック・コミュニティに負い目を全く持たない人が発言することが頻度的にも多くなるという、ブログならではのポジティブな面も確かにあるのです。ブログは、専門家とアマチュアが出合う機会を増やします。またブログの匿名性は、専門家が、自分の所属するコミュニティの権威に気兼ねすることなく自由な発言をする機会も増やします。この点に関して、47th先生は注釈で、 (※)実際にどの程度の影響力を持っているのかは、よく分からないところはあります。(中略)ネット上で目に見える形での影響力というのは、よくも悪くも割り引いて考えなくてはいけないんじゃないかという気がするわけです。と述べるに留められています。僕はここに、パレスチナに生まれた批評家、エドワード・サイード(Edward Said)が展開した「知識人」という発想を借りて、もう少しブログのポジティブな可能性について進めてみたいと思います。日本語の「知識人」という語彙には、いやらしいイメージがあって僕はとても嫌いなのですが、サイードの言葉なので、そのまま使います。 サイードによると、安全地帯に逃げ込もうとする専門家に対して、むしろ常に「アマチュア」としてマイノリティーの立場に立ち、『専門家たちが自分たちとアマチュアを選別するために引こうとする境界線の存在を否定していくこと』こそ知識人の仕事であるということです。こうした境界線にチャレンジしてゆく知識人があればこそ、人類全体の知は発展するのでしょう。それが果たして「知識人」であるか否かという点はどうでもよくて、大事なのは境界線に攻撃をしかける人が求められているということです。 この境界線へのアタックに挑むということは、権威を含めたマジョリティーに攻撃をしかけるということであり、過去には恐ろしいほどの勇気が必要であったのですが、ブログのような匿名ツールのある現在、その匿名性のレベルは置いておくとして、このアタックが容易になっているという点は、明らかにブログの良い面です(注1)。 ところで、ブログの存在によってより頻繁に起こるようになった専門家とアマチュアの論戦において見かけるような、安全地帯にいる専門家がアマチュア一般の存在に苛立っている状態には、2通りの原因がありそうだという点を指摘したいです。それは(1)アマチュアの側にその内容を論ずるに足る基礎知識があまりにも育成されていない場合と(2)アマチュアによって安全地帯の境界線が攻撃を受けている場合です。 専門家サイドの落とし穴は、この2つの原因の異なる苛立ちを混同するということのように思われます。儒教的な文化を持つ日本人にとっては容易なことではないかもしれませんが、専門家であっても、安全地帯の境界線を疑うという態度は、知の発展にとって必要不可欠なことだと思います。そうした境界線をアマチュアによって攻撃されるということは、それがクリティカルであればあるほど、専門家の心理的には嫌で避けたいことになるはずです。しかし、だからといって、そうした境界線への攻撃を全てナンセンスとし、話を専門家としての安全地帯内でクローズしようとする態度は、知の発展にとってマイナスです。 逆にアマチュアとしては、47th先生のエントリのコメント欄でも指摘されていましたが、専門家とその背後にあるコミュニティをリスペクトするという態度が必要となることは強調して余りあります。専門家にとっては、アマチュアと論戦を張ったところで、せいぜい得られるものは境界線の防衛に成功する程度なのです。最悪はアマチュアに負けることで、面子を失うことになるリスクがあります。そうしたリスクを犯してまで、アマチュアとの論戦に対峙してくれる専門家というのは、それだけで貴重な存在だと思います。 逆にアマチュアは、いつでも「自分は専門家ではないので」と逃げることが出来るのであって、もともと失うものは少ないわけです。たとえ論戦に敗れても「勉強になりました」と言えば、むしろ潔い印象すら与えることができるかもしれません。こうした前提を知るのであれば、専門家の胸を借りているアマチュアには、ブログという半永久的に文章に残り、広く公開されてしまうようなプラットフォームの特異性と、日本に脈々と受け継がれてきた恥の文化に鑑み、無理やり議論に勝つことばかりを目指すような振る舞いは避けるべきでしょう。 人類が積み重ねてきた知へのリスペクトを前提としつつ、境界線を異業種にある者同士が攻撃しあってみる関係というものは、ブログが提供する大切な価値なのであって、専門家にあっては、境界線への攻撃に対しては常にオープンである姿勢が求められると思います。今後は、こうした境界線への攻撃がより高度に起こりやすくなるような次世代ブログ(それは既にブログでは無いかもしれませんが)の開発が求められているのかもしれません。それは、47th先生が指摘されているような、「異種格闘技戦のためのメタルール」としての位置づけになりそうだと、僕は思います。 何かを発言したようでいて、その実、何も言っていないエントリですね(汗)。自分のためにまとめたということで、許して下さい(笑)。 (おしまい) (注1)ただし、そうした攻撃一つ一つの質的な面は、マジョリティーに対して、マイノリティーとして果敢にアタックするという勇気を必要としない分だけ十分に練られたものではなく、逆に悪くなっているのかもしれません。攻撃の数ばかりが増えるとするなら問題ですが、しかし47th先生のブログのように知の巨人が管理するブログには、そうそう無謀な攻撃を仕掛ける人もいないという現実は、それほど悲観的にも見えません。巨人同士の戦いは、観戦していて勉強になりますので、どんどんやって頂きたいものです(笑)。逆に、僕のような小人どもの戦いには、小人なりの防衛ラインを巡る攻防があるのであって、そうした意味では、ブログによる知の階層化が進んでいるのかもしれません。 ■追記(2007年9月21日) アルファ・ブログ「404 Blog Not Found」でも、『黙って引っ込んでいられなくなった玄人』という素人と玄人に関する考察がアップされました。参考のためにリンクを保存しておきます。 ![]() 今日は背伸びをしてそれっぽいことを書きましたが、本心はそれどころではなかったのです。実は・・・娘に・・・親しい男の子の友達が・・・(ため息)。幼稚園の同級生とのことなのですが・・・。今週の金曜日には、娘が先方の家に遊びに行くことになっております。いわゆる父親としての複雑な気持ちを、これほど早く味わうことになろうとは・・・。
by NED-WLT
| 2006-11-15 03:52
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