|
本を書きました。
無料ストーリー公開中です! Amazon 心理学入門3位 読書推進運動協議会より 推薦図書に選ばれました! Amazon人物群像1位 増刷が決定しました! 電子書籍化が決まりました! Amazon企業革新2位 Amazonリーダーシップ2位 増刷が決定しました! Amazon会社経営7位 増刷が決定しました! 韓国での出版も決定! 新版・文庫発売しました! Amazon新書・文庫1位 Amazon総合ランキング8位 Amazon 2010年・新書7位 韓国での出版も決まりました。 『英会話ヒトリゴト学習法』第2版 Amazonビジネス英会話3位 韓国、台湾での出版も決定。 オリコン/ビジネス書8位達成 オーディオブックFeBe1位達成 SPA! '08年下半期ビジネス書1位 Amazon 総合1位達成 Amazon 2008年総合15位 14万部突破しました。 韓国、台湾、中国でも出版です。 30%増量の新版(第2版)出ました! Chabo!(チャボ)関連 カテゴリ
全体 はじめまして(連絡先) 日々の暮らし ちょっぴり経営学 ケースメソッド 旅行と観光 日蘭データ比較 日蘭交差点 ベンチャー(過去) 幸せな飲食物 ベルギービール 一時帰国中(過去) 時事評論のまね ブログに関すること 我が家の教育論 FISHING LIFE ビデオ・アーカイブ ビジネス英語カユイ所 書評&映画評 ノンフィクション フィクション 著書に関すること スポット記事に関すること 講演会に関すること 父からのメール 内省 お知らせ 記事ランキング
検索
以前の記事
2015年 09月 2015年 04月 2015年 01月 2014年 11月 2014年 05月 2014年 02月 2014年 01月 2013年 08月 2013年 07月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 03月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 06月 2012年 04月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 2006年 05月 2006年 04月 2006年 03月 2006年 02月 2006年 01月 2005年 12月 2005年 11月 2005年 10月 2005年 09月 2005年 08月 2005年 07月 2005年 06月 2005年 05月 2005年 04月 2005年 03月 その他のジャンル
画像一覧
|
「刺激になった」という言葉、よくききますよね。
刺激とは、一般には、僕たちに作用して、なんらかの反応を生み出す要因のことです。その要因になりえる事柄は多数あります。拡大解釈すれば、そもそも「生きる」ということは「刺激を受ける」ということでもあるでしょう。 とはいえ、特に知的な意味で「刺激になった」というときの意味は、かなり限定的であることに気がつきました。それは「それまで知らなかった合理性(ロジック)を知った」ことを伝えているということです。 僕たちは、日常の中に埋没していると、今の自分が選択している「生きかた」以外には、合理的なものはないと考えてしまう傾向があると思います。ある意味で、これは「自分は正しい、他者は間違っている」と信じたい、人間の弱さです。 意地悪くいうなら、だれか他者のことを「合理的ではない」と感じるとき、僕たちは「自分は正しい、他者は間違っている」ということを確認して、安心しようとしているわけです。「自分が間違っているかもしれない」という不安から逃げたいという欲求があるからでしょう。 ですが、そもそも生命というのは、かなり合理的なシステムです。つまり、それぞれに異なる「生きかた」をしている人間も、それぞれの環境において(できるだけ)合理的な選択をしようとしているはずなのです。 本当は、自分が正しくて、他人が間違っているなどということは、そんなに存在していません。それぞれに異なる合理性(ロジック)を持っており「それぞれに(その環境においては)正しい」というのが正解だと思います。 人間として成熟するということは、こうした無数にある合理性の背景を理解するということではないでしょうか。そして、みなが「正しくありたい」と、固定された環境の中で、苦しみもがいているのが人生であることを知るということではないでしょうか。ここに悲しさもあるわけですが。 僕たちが「刺激になった」というとき・・・それは、人生には自分とは別の生きかたがあり、それも十分に合理的であると認めることができたという、自らの成長を意味しているのだと、今は考えています(間違っているかもしれません)。 教育には、他者に対して「刺激を与える」という側面があるでしょう。 それは「正しい生きかたは、自分の選択しているこれだ」と信じていたい人間に対して、他者の合理性(ロジック)を示すことで、本人がこれと信じる「正しさ」を揺さぶることにあると思います。 その目的とするところは、優しい人間をつくるということであり、人間ではなくて、そうした人間を生み出してしまう環境のほうを憎むという態度を育むことでもあるでしょう。 なんだかよく解りませんが、そんなことを考えました。 (今日も一日、がんばりましょう!) 寝てる ●無料メルマガ『人材育成を考える』もよろしくお願いします。 ●twitterもやってます:http://twitter.com/joesakai
by ned-wlt
| 2014-02-18 06:06
| 時事評論のまね
|
ファン申請 |
||