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英語の公用語化と、経済のグローバル化について考えています。その文脈で、自分として今一度、この英語というやっかいな問題について、考えを整理しておきたいと思います。短時間での書きなぐりで、まともな編集をしていないので、かなりの長文になります。
0.はじめに 僕は、日本が大好きだし、日本語も愛しています。外国に長く暮らした日本人の多くにみられるとおり、客観的には、僕個人はちょっと国粋主義的ですらあります。 オランダ在住時代には、世界で誤解されている日本像を改めるため、オランダの高校生たちの教育にもコミットしていました。特に、オランダが日本に謝罪を求めるのは、植民地喪失の怨みからであるとする、抑留経験のあるオランダ人による自省の書『西欧の植民地喪失と日本』は、彼らの親日感情を伸ばすために、とても有効でした。 子育てという文脈においても、僕は国際人というナイーブな発想をこれっぽっちも信じません。シオランの「私たちはある国に住むのではない。ある国語に住むのだ。祖国とは国語である。」という言葉を、このブログの一番はじめに取り上げているとおり、日本語の深い理解なくして、外国語の習得などないと考えています。 1.英語習得のリスクについて 拙著『シンプル英語学習法』にもまとめたとおり、人間の脳にとって、外国語を習得することには、無視できないリスクがあると思います。 言語学的には、だいたい10~12歳(クリティカル・ピリオド)を超えると、人間は、外国語の習得能力が極端に低下することが知られています。この理由に関しては、わかっていないことが多いものの、僕としては「言語とは人格そのものであり、複数の言語を習得することは、多重人格化を引き受けること、すなわち自我崩壊のリスクを伴う」という仮説を持っています。 第1の結論として、英語に限らず、外国語の習得には「毒」としての有害な側面があり、脳がそれを嫌っている可能性を指摘しておきます。 2.英語力と年収の関係 2005年11月の朝日新聞では、仕事で英語を使う人は、使わない人に比べ、女性で40%、男性で18%年収が高いことが紹介されています(大阪府立大学経済学部、鹿野繁樹准教授による調査)。 プレジデントファミリー2008年5月号『英語が喋れると、年収が高くなるのか?』では、英語ができる人の年収は、同年代の平均的な年収よりも209.4万円高いということが示されました。 リクルートによる2010年12月2日の資料では、英語力をもった人材の求人数が、2009年と比較して、2.7倍(全求人数の20%)にまで高まっていることが示されました。この傾向は、おそらく、今後も続くと思われます。 もちろん、年収は英語力だけできまるわけではなく、基礎能力の高さや、努力する習慣の有無など、色々な要因が背景にあるでしょう。とはいえ、雇用する側が、英語力に付加価値を感じており、そこにプレミアムを支払っているという現実は動きません。 第2の結論として、英語力の習得には(今のところは)個人としても会社としても、高いリターンがあると言えるでしょう。 3.英語の習得にかかるコスト 英語の学習に必要となる時間は、膨大なものです。覚悟を持って、毎日おこたらず、しっかりと勉強を続けないと、英語を習得することはできません。テクニカルには、自分の「典型的な一日」を思い出したとき、そこに英語学習の時間がない人は、生涯、英語力を身につけることはないでしょう。 ここには当然、英語学習のために取っている時間を、他のスキルを習得するために使うという発想(機会費用)があります。そもそも、英語だけできても仕方がないわけで、英語よりも、まずはビジネス・スキルをしっかりと磨くことが重要という考え方には、説得力があります。 ただし、この考え方は、英語の学習とビジネス・スキルの学習は、それぞれ独立した存在であるという前提が正しいときに、特に際立ちます。しかし、学習理論の世界には「イマージョン法」というものがあり、英語とビジネス・スキルを同時に学ぶという発想があります。 僕の英語力も、オランダ企業(社内公用語は英語)での勤務が、結果として、実務を英語でこなすというイマージョン環境になっていたことと関係があります。この意味では、今現在、実務で英語を使わざるを得ない人と、そうでない人の間には、学習機会の不平等があるのは明白で、ここはもっと問題視されるべきところではないでしょうか。 第3の結論として、英語の習得には、相当なコストがかかるが、それを下げる方法は、不平等に提供されているということが挙げられます。 4.自動翻訳機への期待 自動翻訳機の性能は、まさに日進月歩で進んでいます。ビジネスをする程度には十分な性能の自動翻訳機が、安く手に入るような時代は、いつかは訪れるでしょう。そうなれば、高いコストを支払うべき理由も、わざわざ毒を受け入れる理由も少なくなります。 しかし、自動翻訳機の完成は、先進国に暮らす人、すなわち日本人にとっては、バラ色の未来ではなく、厳しい未来です。なぜならそれは、低賃金な国家に暮らす人々が「日本語」を話し始めるということであり、それは平均賃金の極端に高い日本から、多くの仕事が奪われるということを意味するからです。 外国語習得の難しさは、先進国にとっては、労働の参入障壁になっているという部分が見えないと、自動翻訳機の恐ろしさを見誤ると思います。この視点からは、英語の習得でなんとかなっていた時代というのは、むしろラッキーな時代として振り返る日が来るのかもしれません。 どのみち、2010年に需要のあるトップ10の仕事は、2004年にはまだ存在していなかった(ソースビデオ)というスピード感で、僕たちが今持っているスキルは陳腐化して行きます。「いずれ必要なくなるよ」というコメントは、英語に限らず、他の多くのスキルに共通するものであるという認識が求められます。なんにせよ、僕たちは、生涯をとおして学び続けなければならないのです。 蛇足ですが、自分でアプローチすれば、収益を改善できる問題に対して、誰かが解決策を提示してくれるまで待つ(しかも、それはいつになるかわからない)という態度は、経営者的ではないと思います。経営者を目指す場合は、やはり、英語の勉強をすべきだと、個人的には思います。 第4の結論として、いずれ自動翻訳機は整備され、英語力の価値は下がるでしょうが、そこにある未来は、これまでとは比較にならないレベルの、厳しい競争社会になると考えられます。 5.ダブル・スタンダードの観察 人類史とは、つまるところ、グローバル化の歴史であり、大きく見れば、過去に一度として、この流れが逆流したことはありません。ローカルなものは、徐々にその力を弱めていく運命にあるからこそ、そうした中に価値を認め、それらを保護していかないとならないのです。 この流れに従って、日本国も、かつて、アイヌ語や八丈語、与那国語を話す人々に、日本語を直接・間接に強要してきた歴史があります。今では、これらの言語は、ユネスコによって「消滅寸前言語」に指定されています。 過去、自分たちが別の言葉を話す人々に日本語を強要し、それをほとんど振り返らないにも関わらず、いざ自分に英語が強要されると、脊髄反射的に反発するのは「ダブル・スタンダード」です。僕自身のこととしても、これを反省する必要があると強く感じています。 以前このブログでも触れたとおり、多様性を持つことは、多様な世界に対応するための必要条件です。多様な言語を保存するのは、人間に多様な考え方を持たせることにつながるでしょう。これは、将来おこりうる様々な危機に対応するために、きっと重要なことになるはずです。 この視点では、外国語習得による多重人格化には、リスクだけでなく、複数の考え方を1人の人間の脳内に持つことができるというベネフィットの可能性も見えてきます。これについても、拙著『シンプル英語学習法』で「アルターエゴ仮説」として触れました。 第5の結論として、全ての言語には、失われてはならない貴重な価値があり、これらは等しく、滅ぼされてはならないと言えます。 6.英語は本当にグローバル言語なのか? およそ70億人の人類の中で、1億2千万人(今後はさらに減少する)しか話さない日本語は、残念ですが(今のところ)ローカル言語です。 89年後の2100年には、日本の人口は、楽観シナリオで約6,400万人、悲観シナリオで約3,800万人にまで減少します。対して世界人口は、100億人規模にまで増えていると予想されています(国土交通省の資料『国土の長期展望に向けた検討の方向性について』より)。 これに対して英語は、論文や特許といった付加価値の高い文章の記述に最も多く用いられている言語であり、現実として(今は)ビジネスの公用語です。週刊東洋経済(2010年9月18日号)では、世界の英語学習者は、2000~2010年の10年で、10億人から20億人に倍増していることが紹介されています。 同記事によると、国際交流の74%までもが、母国語が英語ではない、ノンネイティブ同士によるコミュニケーションで成り立っています。ネイティブのように完璧な英語は、ビジネスの現場では必要なく、母国語の異なるノンネイティブ同士が、お互いに苦労をして英語でコミュニケーションをしている現実が見えてきます。グローバル言語は、正確に表現するなら、英語ではなくて「ブロークン・イングリッシュ」なのです。 もちろん中国語の重要性も、今後高まることは疑えません。しかし、中国の英語教育は成功しており、近い将来、中国は、英語を話す人が最も多く暮らす国になる(ソースビデオ)と言われています。この意味では、中国とのビジネスであっても、英語でなんとかなるわけです。 第6の結論として、自動翻訳機が完成するまでは「ブロークン・イングリッシュ」の地位は堅固であると言えるでしょう。 7.日本語を世界に普及させるという道 とはいうものの、英語をグローバル言語として認知するだけでは、悔しいです。僕たち日本人には「日本語を英語に負けないグローバルな言語にする」という発想も必要です。こうした活動こそ、真に愛国的なものではないでしょうか。 現在、この事業に関わる人々の努力は、世界133カ国、約300万人の外国人が日本語を学んでいるという段階(2006年時点)まで到達しています。世界では、約44,000人の日本語教師が活躍しているのです(ソース)。僕たちには、この人々を応援する義務があるでしょう。 しかし、300万人の日本語学習者に対して、20億を超える人々が英語を学んでいる現時点では、日本のすばらしさを世界に伝えるためにも、英語力が求められるというのが現実のように思われます。 第7の結論として、日本語を学ぶ人々を増やす努力をするためにも、英語で発信する力をつける必要があると考えます。 ●まとめ 日本人にとっては、まず、日本語の習得が重要であることは明らかです。同時に、ゲーテがかつて「外国語を知らないものは、母国語も知らない」と言ったとおり、英語の習得と日本語の習得は、必ずしも排他的な学習とは言い切れません。何かを理解するためには、他の何かと対比するという態度「も」重要なのです。以上をまとめると、以下のような視点を考慮する必要があると思います。 ・英語に限らず、外国語の習得には「毒」としての有害な側面がある ・英語力の習得には、個人としても会社としても、高いリターンがある ・英語の習得コストは一般に高いが、環境によってかなり異なる ・自動翻訳機の完成は、必ずしもバラ色の未来を意味しない ・全ての言語には、失われてはならない貴重な価値があり保護が必要である ・現在のグローバル言語は、ブロークン・イングリッシュである ・日本語をグローバル言語化する努力にも、英語力が必要である 南国の美しい島には、毒をもった生物が多く暮らしています。そうした場所において楽しく生きるには、美しさを保護すると同時に、危険を認識し、局所的にそれを避けることも重要です。危険を認識しないということは、本来は自分でコントロールすることができるリスクを無視し、運を天にまかせてしまうことでしょう。 英語にも、悩ましい多くの毒があります。それらを認識しながらも、英語力によって享受できるプラス面も評価しつつ、自分の責任で、英語を勉強するか、しないかを決める必要があると思います。同時に、自動翻訳機が完成した後の社会に対して、準備をしておくことも重要でしょう。 日本は、10人に1人の若者を海外留学させるという国家戦略を描きました(ソース)。この戦略を正しいと考えるか、間違っていると考えるかは自由です。個人的には、公教育としての小学生への英語教育に関しては、日本語や日本の歴史を学ぶ機会が減少してしまうという負の面を、もっと議論する必要があると考えています。 ですが少なくとも、今後の世界においては、英語を使える人材が増えていくことは確実です。マジョリティーに従う必要はまったくありませんが、マイノリティーとして生きることの難しさ(個人的にはオランダで9年近く体験したわけですが)を受け入れるかどうかには、慎重な判断が求められるでしょう。 +1.このエントリを振り返ってみる 過去の僕は、英語のテストで赤点ばかりとっていました。大学を卒業するまで、飛行機に乗ったことすらありませんでした。そんな僕は、かなりのコストをかけて英語を習得し、いまでは、英語で仕事をすることに苦痛を感じなくなっています。 僕は、英語力の獲得に大きく投資してきました。ですから当然、その投資が無駄になることを嫌います。この視点で客観的にこのエントリを読むと、ここには、自分の投資に有利なように世界を動かしたいという「ポジション・トーク」としての側面が観察されます。そうならないように自分なりに気をつけたつもりですが、やはり自分がかわいいという甘さがあるのでしょう。 飛躍しますが、こうした英語力に関する「ポジション・トーク」は、日本国内のみならず、世界的なマジョリティーを形成しつつあります。この政治的な社会現象を分析・研究することは、マーケティング的に、とても興味深いと感じます。 (散漫だし、MECEでもなさそうですが、今日はこのあたりで) 関連記事 「この変化は、優しくない。」 2011-09-25 「傾かない船と、過剰適応。あるいは社内公用語の英語化について。」 2011-09-23 「ヘボ経営者からの国際電話(もちろんSkype)」 2007-02-01 ●メルマガ『人材育成を考える』もよろしくお願いします。 ●twitterもやってます:http://twitter.com/joesakai
by NED-WLT
| 2011-09-26 22:30
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