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素直さとは、自分が「よい」と感じる言葉に出会ったとき、それを行動にうつせる力のことではないでしょうか。そう考えると、素直な人が伸びるのも当然です。で、僕が色々とダメなのは素直じゃないからです(笑)。
![]() 正直、こうした本を書くには、僕は不適格だと感じます。なぜなら、こうした偉人たちの言葉どおりには行動できていないし、そもそも僕はまだ旅の途中にあるだけで、誰かに説教できるような正当性を持ち合わせてはいないからです。 ただ著者としての僕に問題はあるかもしれませんが、僕が選んだ言葉のほうに問題があるわけではありません。そこらへんを割り引いてもらいつつ(笑)お読みいただけたら嬉しいです。 ![]() を、よろしくお願いします。 m(_ _ )m NED-WLT管理人 酒井 穣 追伸:本書もChabo!本です。本書の著者印税の20%が、特定非営利活動法人JENを通じて、世界中の難民・被災民の教育支援、自立支援に使われます。Chabo!発足以来、2011年11月末までの寄付金総額は98,553,069円と、あと150万円で1億円の大台にのります!関係各位のご協力に感謝いたします。 ●無料メルマガ『人材育成を考える』もよろしくお願いします。 ●twitterもやってます:http://twitter.com/joesakai
オランダから帰国して2年8ヶ月が過ぎました。内容が濃すぎて「まだ3年も経っていないのか・・・」というのが実感です。
また、このブログを開設して、ほぼ7年という月日が流れています。昨年もこのブログのおかげで、バーチャルでの出会いはもちろん、リアルでもすばらしい出合いに恵まれました。 ブログでは、直接コメントを頂戴している方々にはもちろん、ROM(Read Only Member)として訪問して頂いている方々にも励まされ、昨年も自分なりに多くの記事をアップすることができたと思います。今年も、昨年同様にブログの作成と、ブログを通した出会いに学んで行けたらと思います。 昨年の出来事としては、3.11の震災は忘れることのできないものになりました。忘れるべきではないし、今年も継続して自分のできる範囲での復興支援をしていきます。 具体的には、継続して寄付をしていくだけでなく、理事をさせていただいているNPOカタリバを通してのコラボスクールへの関与など、もう一歩コミットメントを強めていこうと考えています。 さて「アウトプットの年」と決めた昨年は、自分の人生の中でも、最も多くの文章を書いた年になりました。ブログやメルマガ以外にも、予定どおり4冊の本を出版することができ、雑誌の連載と合わせれば「これ以上はムリ」というレベルでの執筆活動を行いました。 これだけのアウトプットを行うと、自分が想定していないところまで、自分の意見が届くことになります。結果として、意見への賛同ばかりではなく、お叱りをいただく機会も増えました。お叱りにへこむこともありますが、しっかりと受け止め、これも成長の糧としていきたいです。 今年は「ギアチェンジの年」とし、執筆活動のペースは落としつつ、各種アウトプットから学んだことを、もっと実務上のパフォーマンスに連結させることをテーマとします。そして、実務家、経営者として一段上の仕事ができるようになります。 今年も、どうぞよろしくお願い致します。 今年が、皆様にとって飛躍の年となりますように。 NED-WLT管理人 酒井 穣 新年の記憶 ![]() ●無料メルマガ『人材育成を考える』もよろしくお願いします。 ●twitterもやってます:http://twitter.com/joesakai
ブログの文章に限らず、仕事のための企画書などを書いているとき「手が勝手に動く」瞬間を強く感じることがあります。いわゆる、シュルレアリスムの自動筆記(オートマティスム)に似ているような、でもちょっと違うような気もします。
誰でも、電話で誰かと話をしていて、近くにあったメモ帳にグリグリと落書きをして、でき上がった「作品」を捨てるのに躊躇したことがあるでしょう。僕がなにかを書くときは、どこかあの感じと似た状態になることが多いのです。 電話中に生まれるグリグリな「作品」のように、僕は、書き上がった自分の文章を見て、まずその内容に少し驚き、嬉しい気持ちになったり、残念な気持ちになったり、はたまた理解不能に陥ったりしています。 今年は、年のはじめに「アウトプットの年」と決め、例年よりも多くの文章を書くことに努めてきました。このブログやメルマガ『人材育成を考える』をはじめとして、出版物としても『リーダーシップでいちばん大切なこと』(JMAM、3月)、『シンプル英語学習法』(PHP研究所、7月)、『ご機嫌な職場』(東洋経済、8月)、『料理のマネジメント』(阪急コミュニケーションズ、11月)の4冊を出すことができました。 その他にも、雑誌『人材教育』での月次連載や各種のスポット記事、さらに年明け1月末に出版となる新著の原稿(校了済)などを合わせれば、本業以外のところで書いた文章量は、おそらく50万字程度(原稿用紙1,250枚)になります。これは、僕のこれまでの人生で最大の年間執筆量です。 結果として得られたのが「書くことは、僕だ」という、日本語としては少しおかしな言葉です。実際にすべて僕が書いているのですが、実感としては「僕が書いている」のではなくて、そこに書き出された内容に、自分自身が引っ張り上げてもらっているといったイメージでしょうか。それが「書くことは、僕だ」という意味です。 自分のアウトプットとして生まれた文章に当の自分が学び、それが僕自身のフロンティアを少しずつですが確実に広げています。今年一年、アウトプットにこだわってみて得られたのは、結局のところ「新しい自分」でした。やってみてよかった。 皆さま、今年もお世話になりました。 来年もまた、よろしくお願いします。 NED-WLT管理人 酒井 穣 年末の食事 ![]() ●無料メルマガ『人材育成を考える』もよろしくお願いします。 ●twitterもやってます:http://twitter.com/joesakai
ヒマラヤ山脈。この地球で最も標高の高い山々の総称です。サンスクリット語で「ヒマ」は「雪」をあらわし「アラヤ」は「根源的な場所」といった意味だそうです。ですから、ヒマラヤとは「雪を生ずる根源的な場所」といった語感を持つ言葉なのでしょう。
この「アラヤ」という言葉は、大乗仏教の軸となる考え方の中にも出てきます。アラヤ識(阿頼耶識)とは、五感を通して感じられる認識や様々な意識のさらに奥底にひそむ、心の深いところを指しているようです。 ●縮小していく人生 多くの人は、程度の差はあれ、入れる中学校に行き、入れる高校・大学に行き、入れる企業に行き、与えられた仕事をこなしていくという人生を送ることになります。子供のころは可能性の大きさに圧倒された人生も、この流れにいるかぎり、いつしか、前にある仕事のなかに埋没していくのです。 自分が好きなことの世界でも、一度は夢見たプロをあきらめ、世界大会や全国大会をあきらめ、県大会ですらあきらめたりして、趣味としてのそれも、やはりこの流れにいるかぎり、いつしか自分がそれを好きだったことさえ忘れてしまったりもするでしょう。 「今の自分にできること」を、ただ現実的に選び取っていく限り、僕たちの人生は確実に縮小していきます。この縮小が進むごとに、僕たちのアラヤ識は「焦り」という形で、ずっと警告音を発してきたと思います。 ●今の自分にできること どうしたって生きていかないとなりません。ですから「今の自分にできること」を現実的に選ぶということは、多くの場面で必要になってくることです。常に理想を追い求め、リスクを取れだなんて、そんなことを言いたいのではありません。リスクを取ることには、いつも慎重であるべきです。 とはいえ、ただ「今の自分にできること」を積み重ねていても、可能性は時間の経過とともに減っていきます。それはまるで、うずまきの中に浮かぶ木の葉のような人生です。30代も中ごろを過ぎたあたりから、大切に守ってきたはずの可能性も、明らかに目減りしてくるのが普通ではないでしょうか。 ●リアリティ・ショックをどう乗り越えるのか あるとき、ふと我に返って、自分が描いてきた理想は、どうやら自分には手に入らないという現実を直視すると、人は「リアリティ・ショック」におちいります。この「リアリティ・ショック」乗り越えるために、理想のダイエットをすることは、たしかに現実的です。 ただし、理想のダイエットは、どこかで踏みとどまらないとなりません。理想のいくつかを削減することは仕方がないかもしれませんが、それが行き過ぎると、自分の人生そのものをあきらめることになってしまうからです。 ●なんのために可能性を守ってきたのか そもそも僕たち人間が、少しでも自分の可能性を広げるような選択をしながら生きるのは、いつか将来、自分の人生を「ココ」と決めるに値する場所を見つけるためだったはずです。様々な誘惑を我慢して受験勉強にいそしんだのも、そんな将来のためではなかったかと思います。 「現実的に考えれば、それしかなかった」ということに、ただ身をゆだねていくような態度は、まだ見ぬ理想のパートナーを待ちながら、年齢を重ねていくことに似ています。出会いの可能性を維持することも重要ですが、どこかで「ココ」を決めないとなりません。 ●「ココ」と決めることの難しさ 「ココ」を決めるということは、それを決めなければあったかもしれない他の可能性を捨てること(=機会費用を支払うこと)です。ですから「ココ」を決めるのには、心理的な抵抗を感じ、いわばマリッジ・ブルーのような状態になります。 ですが「ココ」と決めることは、まさに結婚と同様に、その後の可能性を減らしてしまうかわりに、「ココ」へのコミットメントを強めることです。いつまでも「ココ」を決めないということは、なにもコミットすることのない人生を生きるということで、そのような人生には、人としての成長がないのは自明のように思います。 ●「ココ」はどこにあるのか? これは簡単な質問です。趣味、勉強、仕事、人間関係・・・なんにせよ「ココ」は、いま自分が持っている手持ちのカードの中にしかありません。そしてそれらは、放置しておけば一枚ずつ確実に減っていく運命にあるものです。 要するに、決めの問題なのです。仕事であれば、毎朝、家を出るときに「自分は、今日の仕事でプロになる」と決めている人と「あー、今日も面倒だなー」と考えている人の間に差が生まれて当然でしょう。 しかし、ただ「ココ」と決めて、それに打ち込むだけでは、その分野で成長はできても、可能性が日々漏れ出していく状況は変わりません。決めているだけに、どうしても視野は狭くなるので、ヘタをすると、ただボンヤリと生きているよりも、可能性カードの減りが早くなる危険性もあります。 ●縮小していく可能性を押し戻す方法 縮小してく可能性を押し戻せるチャンスは、いつだって自分の人脈の中から立ち上がってきます。このとき、チャンスとなる「新たな提案」は、自らのイニシアチブによって取りにいかなくてはなりません。運よく人脈のほうから「新たな提案」が出てくることは、ほとんどないからです。 そして自分に多くのチャンスをもたらすことができるような人との関係維持コストは、決まって高くつきます。しかし、それこそが、自分の可能性を広げるために有効な数少ない投資先なのであって、これを怠る限り、うずまきの中に落ちた木の葉を拾い上げることはできないと思います。 ●まとめ 大事にしてきた手持ちの可能性カードは、周囲の環境によって捨てさせるのではなく、自ら決めて捨てていくべきものです。そして残すと決めたカードに日々集中し、そこに人脈のレバレッジをかけて新たな可能性のカードを獲得していくことが、ただ一度の人生を主体的に生きるということであり、理想のダイエットを終わらせるために必要なことなのでしょう。 自分の考えたとおりに生きなければならない。 そうでないと、 自分が生きたとおりに考えてしまう。そうして手に入れた新たな可能性カードであっても、時に棚卸をしつつ、捨てるべきカードを選び、捨てる作業を止めてはいけないのでしょう。それが「自分の考えたとおりに生きる」ということであり、僕たちのアラヤ識を「自由であることの喜び」で満たすための唯一の手段なのだと思います。 (年末、大忙し!) フォーカス ![]() 「僕たちは、ただ1度きりの人生を生きている。」 2011-03-03 「突き抜けた人は、どうしてみんな子供なんだろう?」 2011-07-02 ●無料メルマガ『人材育成を考える』もよろしくお願いします。 ●twitterもやってます:http://twitter.com/joesakai
今年読んだ本の中で、最も感銘を受けた本を紹介しつつ、自分の考えをまとめるためのエントリです。長文ですが、お付き合いいただけると嬉しいです。
●勉強時間と成績の関係 長時間勉強をすれば、成績は上がります。もちろん、ただ勉強すればよいというわけではありませんが、学習時間と成績の間に相関があることは広く認められています。もう少し踏み込むと、テレビを見ずに、勉強することができる子供は、成績が良いという報告もあります。 では子供に「テレビを消して、勉強しなさい!」と言えば、それで良いのかというと、そうでもなさそうです。親に叱られたくない(または親に褒められたい)という動機によって勉強する子供は、親の見ていないところでは勉強する動機が生まれないからです。 誰かに褒められたり、叱られたりするまでもなく、自分の学習を自分で管理する学習スタイルのことを、専門用語で「自己調整学習(self-regulated learning)」と言います。教育学の世界では、この自己調整学習の能力が、学習の到達度合いと深く関わっていると言われます(例えばバリー・J. ジマーマンの著作群 ●自己調整学習に向けて 自己調整学習が重要なのは、子供に限らず、社会人でも同じことですね。勝手にどんどん目標を立てて、それに向かって誰に言われるまでもなく学習していく人(=積極的学習者)と、経営者や上司に褒められたり脅されたりしないと、自分では学習に向かわない人(=消極的学習者)とでは、成長に差がでるのは当然でしょう。 僕はこれまで、経営者としても親としても「人間は、どうすれば他者から与えられる報酬によらず、自発的に学習に向かうことができるのか」というテーマに興味を持ってきました。そんな中で出会ったのが『報酬主義をこえて(新装版)』という本でした。 ![]() 僕が本書に出会ったきっかけは、富士ゼロックス総合教育研究所のこの記事でした。原題は『Punished by Rewards(報酬による罰)』という、ちょっと過激なものです。著者は、最初の著作『競争社会をこえて』でアメリカ心理学会賞を受賞した評論家、アルフィ・コーン氏。 本書は、褒めること、叱ることを含めた、広い意味での「報酬(外発的報酬)」による他者のコントロール(オペラント条件づけなど)の危険性を指摘しつつ、自己調整学習に見えられるような、より内発的な動機づけを考えるものです。 ●『報酬主義をこえて(新装版)』の紹介 本書『報酬主義をこえて(新装版)』の主張を僕なりに短く言いきれば「動機づけとは、教育の手段ではなく、目的である」ということです。これは、僕にとっては非常に大きな気づきでした。 例えば、子供に勉強をしてもらいたければ「知りたい!」という動機づけをすることが必要なわけです。ところが、勉強を「させる」ために、しばしば用いられるのは「誰かに勝ちたい!」とか「褒められたい!」とか「怒られたくない・・・」とか「ご褒美をもらいたい!」といった、子供に勉強をさせる「手段としての」動機づけです。 手段としての動機づけによって勉強をしている子供は、自分に報酬を与えてくれる他者のいないところでは、勉強をする動機がないわけです。この背後にある問題を考えるため、以下、本書の記述をいくつかピックアップしつつコメントしてみます。 アメによって反応を引き出せはするが、同じ行動をさせ続けるためにはアメを与え続けなければならないという事実そのものが、アメの長期的効果(あるいはその欠如)についてのカギを提供しているのではないかということである。(p25)僕自身、子育てをしていて、褒めること(アメ)の効果は持続しないという問題だけでなく、そこにあるリスクも漠然と感じてきました(例えば、このエントリ)。ですが、本書を読んだ今は、このリスクが明確にわかるし、その避け方のヒントを持っています。 報酬と罰とは基本的に同じようなものである。現代の社会心理学の創始者であるカート・ルーインが言うように、両方とも「そのときの自然の場面からは生まれないような行動」を引き出そうとするときに使われる。さらに、長期間にわたって見るとどちらもまったく同じ様相を示すことが分かる。つまり、こちらの望むような行動を続けさせるためにはやがて賭けるものを上げ、報酬なり罰なりをどんどん増やしていかなければならないのである。(p74)性善説だけで人間社会を運営することはできないでしょう。ですから時には「自然の場面からは生まれないような行動」を引き出すことは、どうしても必要なような気がします。ただ、そのために、相手にとっての「自然」にアプローチしようとするか「行動」にアプローチしようとするかは、こちらが相手を「どれぐらい愛しているか」にかかっているように思うのです。 報酬を与える場合、そもそも問題がなぜ発生したかに注意をすることは全然必要でない、という理由である。子供が泣きわめいている原因、生徒が宿題をやって来ない原因、従業員が気の乗らない仕事ぶりをする原因を考える必要はなく、ただ該当者を買収するか脅すかして活を入れればいいのだ。(p87)これは、かなり鋭い指摘ですね。実際に、恐怖という報酬は、他者の行動を変化させるために強力なツールです。 僕は、大学院で人的資源管理を習ったJean-M. Hiltrop先生に「ローマの大水道や、エジプトのピラミッドを作らせた管理者は、作業者にどのような動機づけを用いたのですか?」という質問をしたことがあります。彼は慎重に言葉を選びながら「恐怖・・・だと思う」と答えてくれました(あくまでも僕の記憶の中の話なので、先生の正式なコメントではありません)。 「こうすればあれをあげるよ」と言えば、関心は「これ」ではなくて「あれ」に行ってしまう。従業員に給料袋の中身について考えさせたり、生徒に通知票のことを心配させたりするのは、創造性を重んじようという場合にはほぼ最悪の戦略である。(p99)この記述にはハッとさせられました。ルーティンワークの多くがコンピューターに置き換えられようとしている時代にあって、創造性が重要であることは疑えません。その創造性が、報酬によるコントロールを強めることで失われる可能性があるとするなら・・・。 子供たちは内発的な学習意欲を持っている。褒めたり操ったりすれば、その自然な動機づけを押し殺し、そのかわりに盲目的従順や機械的学習態度や権威に対するあからさまな反抗を生み出すだけである。(p142)人間に限らず、おそらく他の動物にとっても、自分が成長するということは、自分の生存確率が上がることを意味します。であれば、子供に限らず、大人にも「成長したい!」という欲求が備わっているはずでしょう。 この欲求は「学習に対するひたむきさ」と結びついていると思われます。そう考えると「成長したい!」という欲求の格差が、色々な結果の格差として生まれてくるように思います。 知りたいのは、この欲求に格差が生まれてしまう理由です。この仮説として、個人が過去に受けてきた「動機づけ教育」に関連しているのではないか、というのが本書の視点なのだと思います。 ●まとめ 褒めたり、叱ったりということが重要であることは、それが結果として人の行動を変えるというデータが多数あることからも明らかです。それによって成長したり、救われたりするケースがあることも事実です。ここは否定できません。 だだ、他者に褒められたり、叱られたりして自分の行動を「変えられる」ほうの人間からすれば、そこには「自分が他者の価値観によってコントロールされる」という側面があることも事実です。ここには倫理的に難しい問題があるという認識も求められると思うのです。 言えるのは、一人の人間の持っている可能性は、もっとすごいはずだということです。望ましい行動を取らせるために報酬というニンジンを与えることは、その人が持っている「行動そのものへの興味」を殺し、ニンジン中毒を作り出してしまう危険性があります。僕たちは、積極的に他者の価値を承認すると同時に、こうした危険性を慎重に回避するための方法を学ばなければなりません。 理想論かもしれませんが、狙いたいのは、他者から与えられる報酬に関係なく、力強く自分の考えるところを突き進む人材の育成だと考えています。誰かに「いいね!」ボタンを押してもらうために生きることは、僕には、どうしても「むなしい」ものに思われます。 (長くて、ごめんなさい・・・) 色とかたち ![]() 「アンダーマイニング効果 (Undermining effect)」2008-01-17 ●無料メルマガ『人材育成を考える』もよろしくお願いします。 ●twitterもやってます:http://twitter.com/joesakai
喫煙所やリフレッシュスペースでの会話から、問題解決が発生することは少なくありません。こうしたインフォーマル(非公式)なネットワークの力は、SNS全盛の現代において、もっと注目されてよいテーマではないでしょうか。
![]() 10月末に出版された本書『インフォーマル組織力』はもっと話題になって良い本だと思うのですが、意外と書評を見かけません。アマゾンを見る限り、アメリカでもあまり売れていないようなのですが・・・ちょっと不思議です。 本書の筆者は、マッキンゼーにおける35年間の勤務の後独立し、その独立創業した会社が、コンサルティング会社ブーズ・アンド・カンパニーに合併され、現在はブーズ・アンド・カンパニーのシニア・パートナーを務めるカッツエンバック氏と、長年、カッツエンバック氏のパートナーを務めてきたジア・カン氏です。 テーマとなっているのは「企業内における非公式(インフォーマル)な人的ネットワークを、収益に貢献させる方法」です。まずは、本書の主張で、気になったものを、以下いくつか引用しつつ、僕の意見をはさんでみます。 一般にフォーマルとインフォーマルは、一方が正しく一方が間違いと片づけられがちです。(中略)ほとんどの組織では、フォーマルな組織が依然として正しい管理法と考えられており、それが規定の構造です。(p3)職場での雑談はよくない、という認識はインフォーマルな側面からみれば間違っています。しかし、このスタート地点で既につまづく組織は少なくないと思います。このレベルの認識合わせに関しては、僕も今年の秋に『ご機嫌な職場』(東洋経済新報社)という本を書いているので、お時間があれば、そちらも参照いただけると嬉しいです。 二つのひらめき、すなわち第一にインフォーマルは組織にうまく利用できること、第二にインフォーマルはそれ単体では完全なソリューションではないことから、マネージャーはフォーマルとインフォーマルの両方をうまく使う方法を確立する必要があります。(p9)中原先生(東京大学)による『職場学習論』の主張としても、部下の成長のために上司に求められるのは「楽しく仕事ができる雰囲気の醸成(精神支援)」でした。インフォーマルには、実利があることを認識する必要があります。 「論理が人に与えるのは必要なものだけである・・・魔法は人に欲しいものを与える」(p15)素敵な言葉ですね。経営は「need to do」にフォーカスする必要があり、「nice to do」を退けるべきなのですが、こと顧客の「欲しいもの」を考える製品デザインの段階では、論理だけではどうにもなりません。天才による飛躍(quantum leap)は、おそらくインフォーマルな中にあるわけです。 フォーマルとインフォーマルを統合させる難しさは、100年以上前から続く経営学理論のテーマになっています。(中略)「二つの(対立する)志向が統合されるということは、どちらの志向も収まるべき場所を見つけ、互いに何も犠牲にする必要がないような解決策が見つかるということだ」(p49)「タマゴが先か、ニワトリが先か」といった矛盾のあるところに、チャンスはあります。重いのに、早く動く。硬いのに簡単に曲がる。ブレイクスルーとは、矛盾を解消してしまうアイディアのことなのです。そして、そこにもきっと、インフォーマルは関係しています。 組織ではあらゆる人々が日々重要な問題を解決しています。経営リーダーの役割はごく少数の「偉い人・できる人」による問題解決に耳を傾けることではなく、組織のあらゆる階層の幅広い問題解決を支援し、すくい上げることであるべきです。(p55)歩き回る経営者(management by wondering around:MBWA)の重要性は、古くから指摘されてきました。そこには、インフォーマルに現場の情報を吸い上げるべしという背景があるわけです。 プライドはポジティブな感情の中で最も強いものの一つです。子どもはいい成績を取ることや新い知識を学ぶことに誇りを感じさせてくれる先生がいればこそ、学校で一生懸命がんばります。(中略)結果だけでなくプロセスに対するプライドもまた、結果そのものへのプライドと同じぐらいモチベーションを生むのです。(p76)自分の仕事へのプライドが結果に影響することは明らかなのですが、プライドを刺激する「仕組み」みたいなものは、社長賞のようにフォーマルなものと、何気なく仕事ぶりを褒めるようなインフォーマルなものがありますね。フォーマルなものだけでは、どうしても不十分という感じがします。 人はなぜフォーマルな仕組みのボトルネックを回避する別の方法を探さないのでしょう(中略)彼らも自らの過度に官僚的な形式主義に嫌気が差して、インフォーマルなソーシャルネットワークを利用した取り組みをはじめています(中略)ウーのやり方は「クリエイティブなルール違反」だと語っています。(p146)この「クリエイティブなルール違反」という言葉には、ハッとさせられました。実務的にも「根回し」によって解決してしまう問題というのは少なくありません。それを卑怯なこととする意見もあるでしょうが、個人的には問題解決に有効であれば、それが法律に違反したりしない限りは、使っていくべきではないかと思います。 上記のようなことを意識しつつ、フォーマルとインフォーマルの統合に成功している組織では、次のような特徴が見られるそうです。どれも、組織にとって本当に大切なことです。こうしたことを実現するために、インフォーマルが大切だという著者の主張に、僕たちは学ぶべきだと強く思います。 1.戦略や計画に合った決定や行動が感情的にも動機づけされている巻末には、自分の所属する組織のフォーマルとインフォーマルの状態を診断するテストが2つ付いています。ここがもう少し充実していたらもっと嬉しいのですが、この2つだけでも、十分に実施を検討するに値します。『インフォーマル組織力』、値段はちょっと高いのですが、オススメの1冊です。 (これから外出します。夜は慎さんの出版記念パーティーです。) ある冬の日の記憶 ![]() 「職場は、明るくなくちゃならない。」 2009-03-14 ●無料メルマガ『人材育成を考える』もよろしくお願いします。 ●twitterもやってます:http://twitter.com/joesakai
名著『経験からの学習』(2006年)の著者、松尾睦教授(神戸大学)による待望の新刊『「経験学習」入門
同じことを経験しても、成長する人と、しない人がいます。この違いは「経験から学ぶ力」の有無にあるというところまでは、多くの人が実体験を通して理解しているところでしょう。では「経験から学ぶ力」とは、具体的にはどういう要素で構成されているのでしょうか? 松尾先生は、本書で、これをまず「挑戦的な目標に取り組む」「自分の仕事のあり方を振り返る」「仕事の中に意義ややりがいを見つける」という3要素で表現します。 さらに先生は、この3要素を高める原動力として「仕事に対する思いやこだわり」と「他者とのつながり」の2つをピックアップし、事例を通してこの重要性を訴えています。 実務でも、3要素を高める「思い」については p126 の図が、そして「つながり」については p143 の図が活用できると思います。実際、この2つの図を理解するためだけでも、本書を読んでおく価値があると思います。本書を読んで、個人的に心に残った記述に、以下簡単なコメントをつけてみます。 ・いくら難しい仕事にチャレンジしても、「やりっぱなし」では成長はのぞめません。自分の仕事のあり方を振り返り、そこから教訓を得て、自分の仕事の仕方を検証することが大切になります。(p18)僕の意見としては、振り返りの機会を作るためには、ブログなどで文章を書くことが重要だと思います。TwitterやSNSでは、どうしても流れていってしまうイメージがあります。 ・強い成長実感を持っている人の割合は、30代に入って急激に落ちていることがわかります。これは、企業に入った初めの10年間は順調に成長するものの、仕事に慣れてきた30代以降は、徐々に企業人の成長が鈍化することを示しているでしょう。(p26)多くの人が同意できる意見ではないかと思います。成長の鈍化は本当に怖いことなので、30代を超えてきたら、意識して新しいことにチャレンジしたり、新しい人との出会いを大切にしたり、特に自分よりも若い人との関わりを深めたりすることが重要だと思います。 ・優れたマネジャーの経験を長年調査してきた米国の研究所によれば、成人における学びの70%は自分の仕事経験から、20%は他者の観察やアドバイスから、10%は本を読んだり研修を受けたりすることから得ていることがわかりました。(p48)これは「70:20:10の法則」として、人事の世界では広く知られているものですね。70%は仕事の経験からということで、仕事を通して成長するという姿勢が重要ですが、同時に、残りの30%は仕事の外にあるので、ここへの具体的な対策も必要ですね。 ・「ルーチンワークばかりで、成長につながる経験が与えられない」と悩んでいる人の中には、そもそも現在手がけている仕事の質が高くないために、難しい仕事を任せられるだけの信頼を得ていない可能性があります。(p78)厳しい指摘ではありますが、僕も同意します。極端な例もあるでしょうが、それでも目の前の仕事をきちんとこなした先にしかチャンスはないと考えられる人のほうが伸びると思います。 ・ある精神分析学者によれば、人は他者を通してしか、自分をみることができないそうです。ですから私は、クライアントや部下や同僚など、自分の周囲の人たちから得られるフィードバックや情報を大切にしています。(p93)誰かに叱ってもらう機会は、本当に貴重だと思います。年齢が上がってくると、そうした機会が極端に減ってくるので、時に理不尽に感じられたとしても、とにかく叱ってくれる人は大切です。そういう友達を持つことも重要ですね。 ・伸びる人材は素直な人間です。僕が言う素直とは、良いと思ったことを合理的に吸収していける人間です。(p97)これもわかりますねー。こういう人は、幅広い情報や人脈をベースにして、自分の仕事の「あるべき姿」を常にバージョンアップしているように思います。 ・イヤなことでも集中して続けていると、面白いとか面白くないとかの境界があいまいになり、肯定的な変化が起こります。なんだか楽しくなる瞬間や「これは何だろう?」という意外な発見です。そうした面白さの兆候が現われてきたら、それを逃さずに深堀りすると、当初つまらないと感じていた仕事にも、やりがいを感じるようになります。(p108)これも良くわかります。仕事における食わず嫌いは、色々と損をすると思います。個人的には、自分がこうした状況にあるときは、その道の専門家に、その仕事の面白さを聞いたりする機会を持つようにしてきました。 ・ここで注意していただきたいことは、単に、信念としての「思い」が強ければ成長するわけではないということです。適切な「思い」、正しい「思い」を持っているかどうかが問題になります。適切で正しい「思い」とは、自分のことを大切にすると同時に、他者のことを大切にしながら仕事をしたいという「思い」です。(p123)深い言葉ですね。自分として正しくあろうとすることが、他者にとって不利益になってしまう場合など、なかなか簡単にはいかないことではあります。しかしやはり、こうした「思い」を持つことを止めてしまえば、単なるビジネス・マシーンになってしまいますからね。 ・若手社員の診断結果を見ると、職場で伸びている人は、学習目標(成長したいという思い)が高い傾向にあります。これに対し、あまりうまく育っていない若手はこのスコアが低いですね。この結果はとても顕著に出ています。(p131)成長したいという思いは、自己効力感(自分は世界に、何らかのことを働きかけることができるという実感)と連結しているように思います。このためには、小さくても構わないので、とにかく成功体験の積み上げが必要です。 ![]() コンテンツだけでも十分に嬉しい内容なのですが、さらに本書の最終章(第6章)には、学ぶ力を高めるツールとして、チェックリスト、カルテ、キャリアシートが付いています。この部分は、人材育成に関わる人のみならず、多くのビジネス・パーソンにも役立つところではないでしょうか。 (これから会食に出ます) 関連記事 「「成長」とは何だろうか」 2009-03-14 「「学び」とは何だろうか。」 2009-02-26 「経験の受け皿」 2009-02-20 ●無料メルマガ『人材育成を考える』もよろしくお願いします。 ●twitterもやってます:http://twitter.com/joesakai
沖縄県の完全失業率は、全国平均5.1%に対して7.6%と国内で最も厳しい状況にあります。特に若年層のそれは、全国平均9.4%に対して15.9%と、深刻度が際立っています。また、大学進学率も国内で最も低く(国内平均54.3%に対して36.6%)、学校を卒業して就職した後も、早期離職率が非常に高いというのが現状です(以上は全て2010年のデータ)。
こうした背景を受けて、沖縄県や地元の有志、アドバイザーの皆様は(1)雇用の場の確保(2)求人と求職のマッチング(3)若年層の就業意識改革に取り組んできました。しかし、状況はなお苦しく、このたび、沖縄県のプロジェクトとして「沖縄県キャリア形成支援プログラム協議会」が発足することになりました。短期ではなく、4年間に及ぶ産官学連携のプロジェクトを想定しています。 この協議会には、沖縄県外のアドバイザーの参加も必要と考えられた結果、僕もその一員に加えていただく運びとなりました(現職に影響のない限りという条件です)。週末や祝日、プライベートの時間が減ってしまいますが、僕としては、これまで一方的に恩を受けてきた日本国に対して具体的な貢献ができる機会と考えています。 慶應SFCは、その設立より、学生を「未来からの留学生」として位置付けています。学生は、現状にうまく迎合するように育成されるべきではなく、自ら未来を切り開いていけるように育成されるべき、という精神だと理解しています。僕もこの精神を(勝手に)受けつぎ、この公務を拝受させていただきます。 (ご指導のほど、よろしくお願いします) 沖縄の思い出 ![]() ●無料メルマガ『人材育成を考える』もよろしくお願いします。 ●twitterもやってます:http://twitter.com/joesakai
僕たちの日常は、他者とのコミュニケーションでできています。ですから、色々とうまく生きていくためには、意識して「コミュニケーション効率」を高める必要があるでしょう。そこで1つ、有効と思われるアプローチに(反省すべき失敗を通して)気がついたので、ここで簡単にまとめておきます。
●単語の意味の「共有」がコミュニケーションの基礎 僕たちは、単語(語彙)を使って、他者とコミュニケーションをしています。他者との間で、特定の単語の意味を「共有」できているからこそ、コミュニケーションが成立しています。ただし、ここでいう「共有」は、シンクロ率100%かというと、全くそんなことはありません。 母国語の単語を学ぶとき、僕たちは辞書に(ほとんど)頼りません。人は自分のコミュニケーション経験を通して、単語の意味を自分の中に(勝手に)構築しつつ成長していきます。このため、全く同じ単語であっても、人それぞれの「解釈」があります。 例えば「正義」という言葉。「行動基準の原点」と考える人もいれば「自分の利益を確保するために、他者を攻撃するときに使われる方便」みたいに極端なイメージをもつ人もいるでしょう。 ●コミュニケーションが破綻するとき 単語レベルでの理解の共有ですら100%のシンクロ率が得られないとするなら、複数の単語で構成された文章レベルの理解の共有になると、もっと困難になります。 例えば「Aさんは法人営業が得意だ」という話になったとして、まあ「Aさん」については100%共有できるかもしれません(注1)。ですが「法人営業」ともなれば、個人のこれまでの経験によって抱く単語のイメージに大きなバラツキが出てくるでしょう。さらに「得意」とはいったい、どういう意味でしょうか? 「そんなこと、言ってないよ!」 コミュニケーションが破綻するのは、多数の「あいまいな単語」の組み合わせによって、他者との理解の共有を「むりやり」目指そうとするときです。コミュニケーションの破綻で痛い目に合ったことがある人は、これを避けるために、なるべく具体的な表現を意識するようになります。 先の例で言えば「Aさんは法人営業が得意だ」ではなくて「Aさんは、日本の中規模な自動車部品メーカー相手の営業で、成績トップを連続5回取得したことがある」といった表現を好むようになります。 ・・・しかし、それでも「中規模」とか「業績トップ」のような、シンクロ率の低そうな単語も入ってしまいます。では、もっともっと具体的な表現を心がければ、それで良いのでしょうか? ●そもそも単語とはなにか 僕は、単語とは、意味する対象である特定のモノやコトのイメージを「圧縮」したものだと考えています。問題は、単語として「圧縮」されているイメージを「解凍」する脳内のソフトウェアのパフォーマンスは、個人のコミュニケーション経験によって、かなり異なるということです。 あいまいな単語、例えば「法人」は「中規模な自動車部品メーカー」よりも「圧縮率(抽象度)」が高いですよね。ここで、同じことを意味しようとして生み出された文章の「圧縮率」は、文章の長さに反比例していることに注目してください(注2)。 コミュニケーションの破綻を避けたいがために話しの具体性を追求すれば、それだけ話が長く専門的になり、結果としてコミュニケーション効率が損なわれてしまうのです。このトレードオフは、なかなか深刻です。 実際「Aさんは法人営業が得意」という文章のほうが「Aさんは、日本の中規模な自動車部品メーカー相手の営業で、成績トップを連続5回取得したことがある」という文章よりも、スッと頭に入ってくるという事実は、見過ごせません。 ●コミュニケーション効率を維持しつつ、破綻を避ける このトレードオフを超えるために必要なのが、その話が起こっている「文脈(その話の背景)」の共有です。例えば、何年も一緒に仕事をしている同僚の間で「Aさんは法人営業が得意だ」と語られる場合と、初めて出会った他人同士の間で「Aさんは法人営業が得意だ」というときは、状況が全くことなりますよね。 長く同僚として一緒に頑張ってきた人たちは、Aさんと顔見知りでしょう。法人営業も、その会社内では、だいたいイメージが統一されているはずです。さらに、得意というのも、その会社において成績が良いという意味で、そこもイメージが一致しやすいと思います。 これに対して、初めて出会った他人同士の場合は、仮にこの人たちがAさんを共通の友人としていたとしても、法人営業と、得意ということのイメージの共有が難しいはずです。 つまり、コミュニケーションの前提となっている「文脈」の共有を高めておけば、「圧縮率」が高くて短い文章でも、破綻することなくコミュニケーションを進めることができるというわけです。この意味では「文脈」の共有は、コミュニケーションのプラットフォーム構築と言えるのかもしれません。 ●文脈共有の武器「それは~という意味ですか?」 では、特定のコミュニティーに所属している人々の間で、時間まかせではなく、少しでも効率的に「文脈」を共有していくためのアクションを考えることはできるのでしょうか?前段が長くなりましたが、ここからが、僕の気づきの本題です(注3)。 特定のコミュニティー内で「圧縮率(抽象度)」の高い単語が使われたとき、自分がその解釈に自信がなければ、そこで必ず「それは~という意味ですか?」という具合に、一度「抽象度」を下げて、自分の解釈が合っているかどうかを、自分の言葉で確認することが重要だと思うのです。 それが相手と違っていれば、特にこだわりがない限りは、相手の解釈に自分の解釈を近づけるように努めます。 これを、コミュニティー内の皆が意識的に行えば、そこでの「文脈」の共有は進み、優れたコミュニケーションのプラットフォームが築き上げられるでしょう。特に、コミュニティーのキーマンとなるような人は、忙しさもあって、短くて「圧縮率」が高い話をする傾向があるように思います。そうしたキーマンの発言は、しかし、それを不正確に「解凍」してしまうと、後に大変なことにもなりかねません。 特にキーマン(企業であれば、上司や顧客になるでしょうか)の抽象的な発言に対しては、愚直に「それは~という意味ですか?」と聞き返す勇気が、特定のコミュニティー内における自分のコミュニケーション能力を鍛えるのだ、と考えました。 (山森さん、合宿がんばってください!) (注1)さらりと書きましたが、人物(個)の特定に関しては、自分と他者のシンクロ率が100%になるというのは、結構不思議なことです。人間は、物質的にも精神的にも常に変化しているのですが、そうした変化を無視できる力は、どのように形成されたのでしょうか。 (注2)もう少し正確には、反比例ではなくて、単語数の逆数の累乗比を考える必要がありそうです。なんていう具合に、コミュニケーションの正確性を確保しようとすると、文章は長くて専門的になりますね(笑)。 (注3)前段が長くなってしまうのも、僕と、このブログを読んでいただく方々の間で「文脈」の共有を前提にできないからですよね。ブログを書くことが時に面倒に感じられるのも、なにかと「文脈」づくりが求められるからでしょう。 忘年会! ![]() 「コミュニケーション能力ってなんだ?」 2011-01-25 「生き抜く力と、モビリティー(可動性)」 2011-10-31 ●無料メルマガ『人材育成を考える』もよろしくお願いします。 ●twitterもやってます:http://twitter.com/joesakai
僕たちが「ゆらぎ」という言葉を使うとき、そこには「あるべき場所の前提(バランスすべき場所)」みたいなのがありますよね。生物学的には、こういうのを「ホメオスタシス(恒常性)」といいます。
たとえば人間は、体内の塩分濃度を一定に保とうとしています。このホメオスタシスのために、僕たちは塩分濃度が低くなれば(1)塩分をとろうとするか(2)水分を排泄することで、塩分濃度が低いという「ゆらぎ」に対応します。 ●社会は大きく変化しようとしている ですが今、僕たちが目の前にしている変化は「ゆらぎ」ではありません。様々な物事の秩序が変わるような、大変化です。これを『グレート・リセット ギリシャ危機が、イタリア、フランスにまで拡大すれば、おそらくは、リーマン・ショックと同等か、場合によってはそれ以上の影響を世界に与える可能性があります。それはしかし、単なる不況ではなく、後に振り返ればグローバル社会の転換点として記憶されることになるように思うのです。 ●ホメオスタシスという内なる敵 世界の変化に合わせて、個人も組織も変化しないとなりません。しかし各種の変化に対して「これまでの状態を維持したい」といった、変化とは逆方向の力を、個人も組織も、その内側に本能として持っています。 組織のホメオスタシスは、ジェームズ・オトゥール教授(デンバー大学)が「変革を拒む33の憶測」(金井壽宏『組織変革のビジョン』より孫引き)のうち「第1番目」としてピックアップしているほどのもので、組織変革においては、大きな妨げになります。個人においても、これは同じことでしょう。 ●それでも(おそらく)変化しないもの 「○○スキル」とか、そういう小さいレベルのものは、どんどん「ゆらい」で、陳腐化していくでしょう。実際に、多くの技術は2年で陳腐化するという意見もあります。では、何もかもが変化してしまうのでしょうか。 僕は、人が職務経験の中で築き上げていく「信頼のネットワーク」だけは、社会が大きく変化した後も、有効な武器になると考えています。この根本を砕いていうなら「きわめて誠実であること」でしょう。誠実さを認めてもらいながら、少しずつ築いてきた信頼は、簡単には「ゆらがない」と思います。 ●「まとめ」みたいなもの ホメオスタシスから自由でありながら、かつ、きわめて誠実であること。誠実であるとは、変わるという約束をして変わること。やるという約束をしてやること。そして、誰かに10の恩をうけたら、それに必ず利息を付けて11にして返していくこと。 それでも、実際には多くの仕事が、低賃金の国外に流出していきます。さらに、コンピューターによる効率化の革命は、人のできる仕事を極端に限定していくでしょう。信頼のネットワークですら、まったく足りなくなるかもしれません。 いつの時代も、人生は自分の思い通りにはならないものです。しかし、僕たちが目の前にしているこの変化ほど、これが強調される時代もそうないと思います。 (今日は、反省すべきことが多くありました) 貝殻 ![]() 「この変化は、優しくない。」 2011-09-25 「傾かない船と、過剰適応。あるいは社内公用語の英語化について。」 2011-09-23 「生き抜く力と、モビリティー(可動性)」 2011-10-31 ●メルマガ『人材育成を考える』もよろしくお願いします。 ●twitterもやってます:http://twitter.com/joesakai
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